

JUMPEI AMANO
@Amanong2
天野潤平。文鳥の世話人。本の編集者。2025年3月からの読書日記(新刊書籍がメイン)。ニュースレター「おゆき堂通信」の発行人。発言は個人の見解です。
- 2026年5月27日
アナーキーのことトマ・デリ,フランシス・デュピュイ=デリ,片岡大右まだ読んでる就寝前読書お風呂読書@ 自宅今日は「形而上学」と「暴力とテロリズム」と「アナキズム運動の歴史」の節を読む。 昼休みに参加した「市民総監視の国家情報局法案の成立を許さない! #0527抗議行動」のときに、オープンマイクである方がアメリカに激怒していたけど、それと重なる記述だ。私も同じだよ。本当にふざけるなと毎日思っている。もちろん日本にも。 〈アナキズムはつねに19世紀末に炸裂したいくつかの爆弾というテーマに沿って説明されなければならないというのに、共和主義と自由主義のほうは、福音主義や植民地主義やレイシズムやセクシズムに関する責任をいっさい免れることができている。数百万人の犠牲者を生んだ一連の戦争の責任は国家主義にある。都市への原爆投下を2度もおこなって、数十万人の民間人を殺戮したのは、自由主義・共和主義であるアメリカ合衆国にほかならない。それでも、原爆について一度も触れずに共和主義や自由主義について本を書いても、遺漏のない書物として読まれることができるわけなんだ。アナキズムについてのあらゆる本は、お手製の爆弾を投げつける人びとの話から始まっているというのにね。〉(82頁)
- 2026年5月26日
- 2026年5月25日
- 2026年5月24日
- 2026年5月24日
未来の戦死に向き合うためのノート井上義和読み終わった就寝前読書お風呂読書@ 自宅 - 2026年5月24日
- 2026年5月24日
- 2026年5月24日
未来の戦死に向き合うためのノート井上義和まだ読んでる@ カフェぷれいす東京の報告会に参加する前に読み進める。第2章と第3章。 第3章は〈第3・4・5章はリベラル派と保守派の両方にそれぞれ異なる違和感をもたらすでしょう。けれども、ここがポスト戦後七〇年を考えるうえで避けては通れない、一番の難所なのです。もしも第3章を読んで頭に血が上っても、そこで本を放り投げずに、いったん落ち着いてから...〉と著者も書いている通り、しんどいものがある。 - 2026年5月23日
- 2026年5月23日
読み終わったお風呂読書@ 自宅出張から帰ってきて最後まで読み終わる。いま読めてよかった一冊。 〈だからこそ、政府が戦争を始めてしまう前に、それぞれの国の民衆が抵抗できるようになっていなければならない。「理不尽な命令がもし出されたら、そのときには反対する」という決意だけでは戦争を防げない。目の前の自由や権利が失われてしまうかもしれない可能性を見据えて、抵抗の「練習」を行い続ける必要がある。〉(206-207頁) 〈しゃべること以上のところにふみだすことが、しゃべることを保つためにも必要だ。私たちの日常の生活を通して、しゃべることの意味を別の仕方で表現できればいいのだが。〉(鶴見俊輔『日常的思想の可能性』295頁) - 2026年5月22日
- 2026年5月22日
まだ読んでる@ 電車今日は友田さんさん『「手に負えない」を編みなおす』のイベント対応で福岡出張。羽田までの電車で第4章を読む。 〈社会運動のこの二重性は、ある社会運動がその集団目標達成に失敗しても(実際、成功は少ない)、しばしば「失敗」とは判断・総括されない理由を説明してくれる。[...]/これらは、社会運動をその目標(集団目標)から演繹させるだけでは見えてこない。個々人の営みに即して社会運動を位置づけることで、初めて観察可能となる地平だろう。/では、「集団目標/個人目標」という形で社会運動が二重性を不可欠に持つとして、両者の結節点にあるものは何か。言い方を変えれば、日常の中で様々な欲望を抱く個人が、抽象的で集合的な社会運動という営みに関わるとすれば、その鍵となる要素は何か。〉(173頁) シンプルだけど、押さえておきたい見方だと思う(「鍵」の答えは本書にて)。 以下のくだりはジェイク・ホール『みんなこうして連帯してきた』とも通ずるものがあって面白かったな。 〈社会自体が必然的に「失敗」を生み出し、否応なくそれに対する抵抗が必要になると考える場合、その前提からすれば、社会運動の必要性から逃れられる人はいなくなる。正確に言えば、何も知ろうとしないか知った上で無視を決め込む場合や、発生する「失敗」で被害を被らない者たちならば無関係でいられるかもしれない。しかしそうでない大多数の人々は、社会運動の当事者にならざるを得ない。〉(175頁) 〈社会運動が単一の理論を信奉する「主義者」たちの営みでしかないのであれば、細部までの判断の一致は、その理論の妥当性を体現するものとして歓迎されるはずだ。しかし、社会の「失敗」に対する抵抗としての社会運動という見方からすれば、その運動の根拠は理想の一致にあるのではない。もちろん、「シングル・イシュー」としての目標の共有はある。だがそれは、どちらかと言えば消極的な、強いられた一致だ。〉(177頁) 思想とは、主体性とは何かについても、現代的に思われる。 〈思想を「信念と態度の複合」だとするならば、それは「知識人」の専有物ではなく、生きている誰しもが持つものだろう。そして、矛盾の少なさや材料の多さを競うような作品としてではなく、どこからどこに向かうという「動き」自体が、思想の評価軸となる。〉(184頁) 〈全き主体性など存在し得ない。流されながらの微々たる変化にこそ主体性を見出さなければならないのではないか。〉(191頁) - 2026年5月21日
まだ読んでる就寝前読書お風呂読書@ 自宅第3章2節以降も読む。ベ平連、小田実、吉本隆明が「補助線」として引かれていく。以下のくだりが特に面白かった。 〈「自らに対して」ならば「〜すべきだ」ということはあるが、「他の誰か」に向けてはそうは言わない。純粋な「政治」の論理であれば、現状認識や社会構造の問題点を指摘し、そこを目指して「〜すべきだ」という議論になるだろう。一方、小田の考えるベ平連の運動では「〜したい」・「〜しよう」という言い方が基本となる。先の「量」の重視が鶴見との対立点だとすれば、「〜すべきだ」と言わない姿勢に武藤との差異が表現されている。/[...]繰り返すが、この三者が絡み合って約十年続いたのがベ平連の運動だった。〉(151頁) - 2026年5月20日
国際関係論のアポリア上野友也,佐藤史郎,初瀬龍平,市川ひろみ,戸田真紀子,杉木明子,杉浦功一,松元雅和,松田哲,池田丈佑,清水耕介,菅英輝買った読み始めた古本@ 自宅『兵役拒否の思想』が良かったので、取り寄せて市川ひろみ先生の論考「兵役拒否をめぐるアポリア——アポリアの認定・無視・粉飾と回避・緩和・解決」を読んでみた。本当にアポリアというに相応しい難しい問題だ...(文章は読みやすい) - 2026年5月20日
- 2026年5月20日
- 2026年5月20日
- 2026年5月20日
- 2026年5月19日
まだ読んでる就寝前読書お風呂読書@ 自宅「国会正門前大行動0519」の夜に、第2章3-4節を読む。「集団論」から「運動論」へ。以下のくだりは今の私たちにとっても重要なことなので引用しておく。 〈「指一本あがらなかった」という状態は、戦後いったん薄れた。だが、これからの時代はわからない。果たして「何もできなかった」という状況に陥ることを克服することはできるのだろうか。そこで重要となるのは、戦争反対の認識自体ではない。それを行動へと結びつける方法だと鶴見は考える。〉(105頁) 〈「反射」こそ、自由が奪われつつある社会の中でも「体がすくんでしまう」ことを跳ね返しながら、知識を行動につなぐことを可能にする。行動なしには、戦争を止める具体的な力にはならず、言葉は言葉だけで終わって「お守り言葉」が跋扈する時代を導くことになろう。〉(106頁) 〈非暴力直接行動をとる場合、その効果の考慮は二番目のことだ。第一のことは、この行為が自分の反射を新しくするだろうという期待だ。〉(鶴見『日常的思考の可能性』307頁)
- 2026年5月18日
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