

JUMPEI AMANO
@Amanong2
天野潤平。文鳥の世話人。本の編集者。2025年3月からの読書日記(新刊書籍がメイン)。自分の仕事は「はてなブログ」にまとめています。発言は個人の見解です。
- 2026年1月10日
光と糸ハン・ガン,斎藤真理子読み始めた@ 電車〈必然として文学を読み、また書くという営みは、生命の破壊という行為の対極に位置しています。〉(35頁) 「本が出たあと」まで読んだ。Studio04で開催中カロクリサイクル展覧会「歴史の蟹・戦後80年を歩く」の行き帰りに。 文が美しすぎる。読み終えたくない。でも読まされてしまう。 祈りのような言葉たち。 今この世界で、この言葉たちが目の前にさし出されていることの意味を考えたい。 〈私たちはつながっている。つながっていますように、どうか。〉(24頁) - 2026年1月10日
- 2026年1月10日
どこかの遠い友に木村哲也,船城稔美再読編集した@ 自宅私の顔はたつた一つだ 君の顔もたつた一つ だが 同じ希い 同じ怒りに身をふるわす 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 1月9日は、多磨全生園入所者・船城稔美さんの命日。2003年に79歳で他界。 上に引用したのは表題作「どこかの遠い友に」。船城さんの呼びかけが、誰かに届いてくれますようにと願う。 (船城さん、わたしには届きましたよ。) 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ある読者の方が命日に、こんな投稿をしてくださった。 〈船城稔美さんの詩は本当に不思議で、それまで気に留めてなかった詩がある日突然刺さる。/こちらの気持ちを見透かされたようで...〉 この感覚はまさにそうで、あまりに自然に唐突に、でもこれ以上ないタイミングで響いてくるから、「え!どうして?見てたんですか?」ってなる。 お会いして直接、お話ししてみたかった。この本をひらくたびにそう思う。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 最後に今日、目に留まった詩をひとつ引用する。「希求」と名づけられた詩より。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 (前略) 千余の基地から ほとばしる光りの渦 この せまい国土を 空から見ると 世界中の宝石を ばらまいたようだと云う。 明日の不安におののく 八千万の日本民族よ そのあてどない雑踏も ジエツト機からの 眺めには 何の痛みも 通わないのだろう。 東から西からと 吹き寄せる 意志ある死の風 死のはざまに ひしめいて ののしりあい、 なぐり合つてる 手、足、目。 したたる血潮が あまりに紅いので 愕然とする日が来た。 (後略) - 2026年1月9日
生きた労働への闘いウェンディ・マツムラ,冨山一郎,古波藏契,増渕あさ子,森亜紀子買った古本 - 2026年1月9日
家族写真をめぐる私たちの歴史: 在日朝鮮人・被差別部落・アイヌ・沖縄・外国人女性ミリネ編皇甫康子責任編集買った古本バリューブックスのポイントが結構たまっていたので、ほしかった古本をいくつか購入。嬉しい。 - 2026年1月8日
- 2026年1月8日
- 2026年1月8日
光と糸ハン・ガン,斎藤真理子買った@ 神保町ブックセンター - 2026年1月7日
生活の観客柴沼千晴まだ読んでる就寝前読書@ 自宅4月10日まで読む。 〈階段を降りる人たちの背中から吹き出しのようなものが見えて、それが白い息だとわかった。〉(77頁) おー、明日から私にもそう見えるかもしれない。 - 2026年1月7日
- 2026年1月7日
買った定期購読「編集部のイチオシ新刊」にて西本千尋『まちは言葉でできている』が紹介されていた。2025年8月号で水上文『クィアのカナダ旅行記』が紹介されたときと同じ、「(翼)」という署名が。注目くださりとても嬉しい... 〈「暮らしの剥奪を正当化する『公共の福祉』」は。街を漂白し、人の積み重ねてきた臭いを消し去る。住民たちの言葉はひたすらに幽けきものである。〉 〈住民たちの大事にしてきた時間軸とは無関係に進むとき、「復興の遅れ」とは誰にとっての遅れなのだろう。〉 〈そこに住まうものたちが〝わたしたちの言葉〟で地域を語りなおす営み。その土台に立って、あらゆるまちづくりを住民の手に取り返していかなくてはならない。〉 - 2026年1月7日
生活の観客柴沼千晴まだ読んでる就寝前読書@ 自宅3月31日まで読む。 〈気圧かわからないけれど急に悲しくなってしまった。〉(63頁) 自分も気圧に弱く酷い頭痛や吐き気に悩まされがちだけど、気圧と悲しいが結びついたことがなかったので、なんともはっとさせられた。味わい深い一文に出会えたことの面白さ。 - 2026年1月6日
斜め論松本卓也まだ読んでる就寝前読書お風呂読書@ 自宅第二章(中井さんの章)を読んだ。第一章より読みやすかった。というかけっこう難しいしだいぶ専門的な内容だと思うけど(フレームがはっきりあるから見失わずに読めるけど)、多くの人がこぞってこういう議論を読んでいるのだから、やっぱり話題書ってすごいな... - 2026年1月5日
- 2026年1月4日
生活の観客柴沼千晴まだ読んでる就寝前読書@ 自宅3月16日まで読む。3月に入って著者のリズムと自分のリズムのチューニングがあってきた感じがする。 〈それぞれの場所で暮らしていても、一緒に生きていると思えることについて〉(44頁) - 2026年1月4日
どこかの遠い友に木村哲也,船城稔美再読編集した@ 自宅今ほど 背中合せに 理解の埒外に 世界がもがいている時は ないでしょう。 (略) むなしいまでに 光り輝いているのは クレムリンとホワイトハウス だけと言います。 (略) 今日も、 私達の頭上を メカニズムのシンボルのような ジエツト機が わがもの顔に 飛翔しているのです。 船城稔美「或る書翰」 - 2026年1月3日
WORKSIGHT[ワークサイト]29号WORKSIGHT編集部,山下正太郎,ヨコク研究所,若林恵,黒鳥社読み終わった読み始めた就寝前読書お風呂読書@ 自宅すでに読んだ記事もあったけど、良い特集だった。コクヨの「生活社史」という取り組みは面白いな。ほか、小原一真「アーカイブされない権利」(国家への不信から住民登録を拒むロマの人びとの話)は特に読めてよかった。 インゴルド「埋葬のように」も読めてよかった。本を編んでいるときにしばしば抱くその感覚がまさに文字になっていた。 〈アーカイブというものも、知識や文化なりを「永遠に生かす」ためのものとして構想されています。「Heritage」というものは、まさにその考えをもとにしたもので、あらゆるものを「ヘリテージ化」することとは、つまりそれを「永遠化」させたいとの願いから出てくるものです。それは死の否定であり、連続性の否定に他なりません。わたしたちは、死を受け入れることでこそ、連続性というものを受け入れることができるようになるのです。/[...]例えば「本」というものも、一冊一冊を墓碑銘のようなものと考えることができるかもしれません。わたしたちは、お墓参りに行くようにして本と向き合い、そこで過去のあらゆる時代の人たちと対話を行うのです。〉(89頁) - 2026年1月3日
入門講義 アニミズム(1094)奥野克巳読み終わった読み始めた@ 自宅「第4章 アニミズム研究の歩み」は専門書で学ぼうと思ったら難しいところがコンパクトにまとまっていて助かった。他の章はどうだろう。帯の惹句(「希望」)は大袈裟すぎると感じるが... - 2026年1月3日
生類の思想藤原辰史読み終わった@ 自宅「Ⅳ たべる」、「Ⅴ まじる」を読む。藤原さんが深い闇と形容する〈食べる主体〉の話、表皮、漏れ、重力の話など、知的な刺激に満ちた一冊だった。自分はこの本をどう解いていけるだろうか。 † 〈畜産の現場が消えていく、というのは[...]殺すことに向けてケアを続ける、という文化の担い手がいなくなる時代が、有史以来、初めてやってくる、ということを意味する。〉(177頁) 〈人間は、相手を食べるわけでもないのに大量に殺し、焼いたり捨てたり埋めたりする珍しい生きものである。〉(188頁) 〈食べものは噛んで飲み込めば終わりではない。飲み込んだあとを忘れてはならない。〉(205頁) † 〈私は、「二酸化炭素」が悪の表象として機能しすぎていることには違和感を拭えない。〉(218頁) 〈資本主義[...]石油資本[...]バイオケミカル産業[...]以上のような、的確なのだが、エリート臭の抜け切れない言葉では、人びとの腰は鉛のように重いままである。もっといえば、これらの噛み砕かれていない言葉もまた、高速回転的な抽象語のマシーンで世界を強引に説明する愚を犯すことになるのではないか。[...]「規則正しくレイプ」をする人間とはだれか。〉(224頁) 〈食べる、食べさせる、舐める、棲む、流れる、ぬぐう、入れ替わる。これらの動詞が相互に乗り入れる舞台である表皮は、つぎつぎに書き割りが変わるような流動的な舞台だからこそ、とらえどころがない。〉(235頁) 〈漏洩は基本的に忌避される。人間は、表向き破れない膜として暮らしている。[...]しかしながら、私たちが「生きている」と強烈に感じるのは、やはり体液が漏れ出し、こぼれ落ちるときだ。〉(243-244頁) 〈人間が棲まわれる存在であるということ、つまり、微生物にたかられる存在であることから、すでにその効力を失いつつある「人権宣言」を作り直すことはできないだろうか。〉(251頁) 〈あらゆる生命活動の「たかる」の原点にあった引力の根本とはなんだろうか。地球の重力である。〉(266頁) - 2026年1月2日
生類の思想藤原辰史まだ読んでる就寝前読書お風呂読書@ 自宅「Ⅲ はぐくむ」を読む。藤原さんの過去作『稲の大東亜共栄圏』や『農の原理の史的研究』を読み返したくなる(なかなかそういう時間は取れないけれど...)。去年初めて裸足歩きを経験した身としても、「土の思想」の問題はかなり重要な意味を持ってきそう。ぼんやり考え続けたい。 † 〈囲いつつはぐくむというhegenに込められた意味を、最大限生かした「囲い」は、まだ真剣に思考されていない。囲いをあまりにも高く設定し、囲いの外で乱暴狼藉を働いたナチスと同じ過ちを繰り返さないためには、流動性のある最低限必要な低い囲いとはなにかについて考えなくてはならない。〉(120頁) 〈思想の根拠として土を思考することは難しい。[...]農でも村でもなく土を思想の中心に据えるのであれば、さまざまな地域の自然現象、社会現象、歴史現象、そして心理現象にその論理をつらぬかなくてはならない。〉(122-123頁) 〈そもそも土のなかは「共同体」だろうか。[...]もっと目的はバラバラで、各々自分たちの生命活動を遂行しているにすぎないのではないか。/ならば、このような適度な距離感をもとに同じ空間に併存する土壌世界と人間社会の相互関係を、道徳の言葉ではなく、説明することはできないだろうか。〉(133頁) 〈歴史の暗部を掘り起こすときにしばしば私が陥りがちなのは、その被害者たちを「抵抗者」という枠組みに押し込むことである。水俣病の患者や運動者たちはいつも闘っていたのではない。なによりもまず、からいもや魚を食べ、日々を暮らしてきた。〉(156頁)
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