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JUMPEI AMANO
JUMPEI AMANO
JUMPEI AMANO
@Amanong2
文鳥の世話人/編集者。2025年3月からの記録(書籍がメインで漫画は一部のみ)。自分の仕事は「はてなブログ」にまとめています。
  • 2025年7月12日
    とびこえる教室
    『「日本に性教育はなかった」と言う前に』でお世話になった堀川修平さんとのトークイベントにて。とても良さそう。
  • 2025年7月11日
    版元番外地
    版元番外地
    「まえがきにかえて」と「あとがきにかえて」を読んでしまった。
  • 2025年7月10日
    柳田国男と民俗学の近代
    第四章「農の心の現在」というタイトルが好きだった。最終節に向けてアエノコトの「現在」が整理されていく(というかイメージが拡散、乱反射していく)。〈アエノコトとは一体何だったのか〉(313頁)、そして著者はその現在を示すことで〈何に抗するのか〉(314頁)。勢いで読み切った。 終章も勢いがある。〈あえて誤解を恐れずにいおう。私は調査というものにある違和感を禁じ得ない〉(332頁)。〈調査地を語る特権的なポジションに安住してきた調査地たちは、いま、自らが拠って立つ砂上の楼閣のあやうさに目を見開かねばなるまい〉(334頁)。刺激的というか挑発的というか、著者が本当に苛立っている感じが伝わってきて、おお〜っとなった。自分の専門でも何でもないのでちゃんと読めた自信はないけど、頭の隅にこの著者の苛々をすまわせて、折に触れて取り出し考えてみたいと思う。 最後に参院選前なので(?)以下を引用しておく。本編のネタバレにもならないと思うので。 〈心地好い二項対立を求めてはならない。それは人に、自身が世界を理解し得ているのではないか、と誤解させることしばしばである。だが、その図式の単純さはその人の理解能力の貧困さそのものであって、世界そのものがその人の理解能力の貧困さに相応しいほど単純であるというのは、幸福なる無知に過ぎない。〉(317頁]
  • 2025年7月10日
    世界 2025年8月号
  • 2025年7月10日
    賽の河原
    賽の河原
  • 2025年7月9日
    柳田国男と民俗学の近代
    第四章二節まで読む。「奥能登のあえのこと保存会」と原田正彰について。 〈「遺制社会」奥能登に「残存」した「素朴な行事」を伝承する人々とその実践は、しかしながら決して「素朴」や「遺制」といった概念で括りきれるものではない。それは、調査や読書といった技法を駆使して儀礼象徴を操作する知識人かもしれない。あるいは文化財制度や市町村史編纂といった機構を利用して自ら創出した儀礼像を波及させる政治力を持っているかもしれない。〉(271頁) ゲラやら原稿読みがまた始まったので読書ペースが落ちそう...
  • 2025年7月7日
    柳田国男と民俗学の近代
    〈柳田がどこまで自覚的だったにしろ、民俗学確立期においてヴィジュアルが捨象されたことは、きわめて重大だったといわなければなるまい。戦後、すなわち民俗学が一旦確立した後に、柳田が改めて写真の必要性を説いたことはきわめて示唆的だ。/いずれにしろ、柳田をはじめとする確立期の民俗学徒によって産出されたテクスト、その提示する民俗像が、いかなるメディア環境に構築されたのかという問題は、そのテクストを利用する者にとって極めて重要な問題領域といえるだろう。〉(241頁) 第三章読み終わる。野本家のアエノコト、芳賀日出男のアエノコト。読み解きが面白い。
  • 2025年7月7日
    柳田国男と民俗学の近代
    〈ある民俗の写真があるということは決して単純なことではない。一枚の写真を通して眼にすることのできる被写体のこちら側には、それを撮影したカメラがあり、それを操作した撮影者がいる。そこには写真機やフィルムを所有する資本の存在があり、写真という技法を操作する知の存在があり、その資本や知を運用する主体、民俗を被写体とするまなざしが存在する。そして、そのまなざしの向こう側には、まなざしに晒されることを積極的に受容する、あるいは拒絶することのできない身体が存在する。[...]写真の解読とは、その対象への透明性がどれほど自然化されていようとも、その画面に写らなかった「こちら側」の存在を認識することからしか出発できないはずだ。〉(185-186頁) 第三章二節まで読む。写真と民俗、柳田と写真、この章も面白そう。
  • 2025年7月6日
    柳田国男と民俗学の近代
    第二章読み終わる。 〈その結論はきわめてシンプルに要約される。調査が儀礼を解明したのではない。柳田の言葉に導かれた調査が柳田の言葉を追認したのだ、と。〉(159頁) 〈柳田の紡ぎ出した稲作民族の「物語」〉(163頁)の行方や如何に。
  • 2025年7月5日
    柳田国男と民俗学の近代
    第二章二節まで読む。 〈アエノコト。文字で書けば「饗の事」。奥能登に伝わる古風な農耕儀礼。収穫後に主人が田の神を自家に迎え入れ、御膳と風呂でもてなし、翌年農耕開始前に同様の行事を以て田の神を田に送り出す行事。御膳と風呂は神人共食、神人合一の境地を具現。田の神は山の神であり根源的には祖霊に帰一。〉 続く一文が、この論考の面白さ。 〈これが柳田国男の創出した儀礼像である。〉(124頁) 盛り上がってきた。
  • 2025年7月5日
    柳田国男と民俗学の近代
    第二章一節まで読む。
  • 2025年7月4日
    柳田国男と民俗学の近代
    不真面目な読者なので解説から読み「はじめに」へ。ところどころ難しいけど刺激的な書き出し。
  • 2025年7月4日
    北條民雄集
    必要あって久しぶりに何編か読み返していた。「いのち」の謎。
  • 2025年7月3日
    小名浜ピープルズ
    10年を経た「震災後」を地元の人々はどう暮らしてきたのか。まさにそれぞれの暮らしが感情ののった言葉で綴られていた。 「ここから逃げられないのに、いつでも外に出られるんだって気持ちになれる。その感じ、小名浜っぽくないですか? 港って海に対して開かれてるから」(158頁) 「離れた数だけ、ふるさとができるっていうか」(197頁) ハッとする言葉がたくさんあったし、読み手によってハッとするくだりは違うんだろうな、とも思った。帯にある 〈ぼくらはみな、だれかの悲しみのよそ者だ。〉 という印象的な言葉と、本文で出会い直す。そういうことかと思う。読み終わったあとには、ぜひカバーを取り外してみてほしい。細部まで良い本だった。
  • 2025年7月3日
    地平2025年8月号 2025年 8月号
    「編集部のイチオシ新刊」コーナーに『クィアのカナダ旅行記』が載ってる!定期購読している雑誌に担当書が載るとこんなにも嬉しいのね... 〈「あなたは、自分の権利のためにマーチする必要があるか」。生きることが政治につながるかぎり、闘いつづけなければならないという現実を、本書は突きつけている。〉(219頁)
  • 2025年7月3日
    小名浜ピープルズ
    144頁まで読む。映画館の話。常磐炭鉱の話。双葉高校の話。どれも読ませていただいてありがたとうと思う。
  • 2025年7月2日
    小名浜ピープルズ
    「はじめに」を読んだ時点で、良いエッセイ集を買えたなあ、という手応えを感じる。88頁まで読む。 二つ目のエッセイ「処理水放出と海辺のまちの生業」に出てくる「生業訴訟」の訴状は、言葉が適切かはわからないけど、すごい文章。 四つ目のエッセイ「老舗温泉旅館に生まれた原子力災害考証館」は安田菜津紀さん『遺骨と祈り』ともリンクする内容だった。またこのエッセイは、「まちづくり」に関心のある人が読むときっといい。「まちづくりは失敗したなあ。まちづくりは本当に難しいね」(83頁)、「新しい国をつくるのも難しいと思うから、村づくりからもう一度やらないとダメだと思って」(84頁)。ある方の言葉。噛み締めたい。
  • 2025年7月2日
  • 2025年7月2日
    台湾と沖縄 帝国の狭間からの問い
    台湾と沖縄 帝国の狭間からの問い
    買わなきゃ読まなきゃとずっと思っていたもの...
  • 2025年7月2日
    柳田国男と民俗学の近代
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