
木村久佳
@kuCCakimura
2025年8月18日

親といるとなぜか苦しい
リンジー・C・ギブソン,
岡田尊司,
岩田佳代子
読み終わった
「毒親」「親ガチャ」などなど、「親がなんかおかしいかもしれない」という子どもたちの気持ちに起因した言葉がザクザク誕生する世の中ですね。
私の中で「毒親」とは、誰から見ても否定しようのない虐待行為を子どもにする親とか、恋愛や性生活に奔放過ぎて子どもを困らせる親とか、そういう極端な例が頭に浮かんでいたのですが、それだけではないんだな、と気づかされます。極端と正常の間に繊細なグラデーションが作られ、自分は世の中から見ても正常だと思っている親も客観的に見ると毒親である可能性がある。
ちょっと前までは、親のこんなところが不快だ苦痛だ、という話をしても、「みんなそんなもんだよ」と笑われて終わっていた気がするんですが、
今になって結構話を聞いてもらえるようになったのが嬉しくなる反面、今更なんでだろう、とも思います。
勝手な妄想ですが、SNS時代がやってきたからなのかも、などと考えています。
友人など親しい仲であれば、いいねが欲しい分幸福な面しか見せなかったりしますが、
逆に本名も顔も知らない遠い人たちの生活が垣間見えるようになりました。
「よそはよそ、うちはうち」と私も死ぬほど言われてきた人間ですが、今はその「よそ」の中身がめちゃくちゃ見える世の中です。
そうしてきっと、「よそ」の平均値が自分の中でできあがり、「あれ、うちってちょっとおかしいかも」などと思う人が増えたのかもしれません。
もうちょっと前に話聞いてもらいたかったです、と私の年齢では思ってしまったりもしますが、
今現在、まさに悩みを抱えている人にとっては、
なんでも聞いてもらえる世の中はきっと優しい世の中なんだろう、
もっと世の中良くなるかもしれない、と微かに期待したりしています。




