JUMPEI AMANO "到来する女たち 石牟礼道子・..." 2025年8月18日

JUMPEI AMANO
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@Amanong2
2025年8月18日
到来する女たち 石牟礼道子・中村きい子・森崎和江の思想文学
第三章三〜六を読む。 〈その「逃亡を許されなかった魂」の苦しみと悲しみが文学となる。〉(223頁) 凄みのある一文。 生産ならざる生産や化学肥料とは異なる循環を描く、「分解の哲学」としての『椿の海の記』。あるいは、家父長制と資本主義に抗するケアの倫理。再生産労働の豊穣性。愛と労働を同時に生きる女たちの「エロス」に満ちた協働。そして、「もうひとつの、この世」の追求。豊かな読みが次々と展開されていく。 多くの人が知っておいたほうがいいチッソの歴史だけ、今回もメモしておく。 〈「椿の海の記』は、窒素水俣工場の価値観を描き出し、同時に、それを批判的に対照化する小説世界の価値観を提示している。というのも一九三一年とは、チッソがアセトアルデヒドの製造に成功した年だからだ。/[...]チッソが水俣に工事を設立したのは、一九〇八年である。石牟礼道子が生まれた一九二七年には朝鮮窒素が設立され、一九四四年には水豊ダムが完成している。そして、一九三一年、チッソはアセトアルデヒドの製造に成功し、翌一九三二年、チッソ水俣工場で、生産を開始する。/[...]アセトアルデヒドからは、プラスティックやビニールなどの原料になる塩化ビニールが製造される。アセトアルデヒドは、水銀を触媒として生成され、その過程で無機水銀は有機水銀、メチル水銀へと変化する。[...]メチル水銀こそ、水俣病の原因である。[...]水俣病は、もとは自然になかった物質が生態系の循環に入り込むことで起こった[...]〉(191-192頁) 〈アセトアルデヒドは、理論的には人造石油の生産まで可能とした[...]。アセトアルデヒドの製造によって、石油の輸入が仮にとまっても戦闘機を飛ばすことができるとも言われ、またアンモニアからできる硝酸は、火薬の原料としても活用された。宇井純や藤原辰史が強調するように、チッソとは、軍需製品をつくる軍需産業であり、その要のひとつがアセトアルデヒドの製造だったといえる。[...]チッソが植民地朝鮮に進出する利権を得ることができたのは、このような軍需産業としての貢献があってこそだと言える。〉(192-193頁)
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