
comi_inu
@pandarabun
2025年3月7日

最初の悪い男 (Shinchosha CREST BOOKS)
ミランダ・ジュライ,
岸本佐知子
かつて読んだ
居候から始まって家族になっていく作品なんて腐るほどあるが、その中でも異質かつ個人的にいちばんすきな物語だ。女女の物語としてとてつもなく面白い。
それはシェリルとクリー、ふたりの関係がまず闘争から始まっているからかもしれない。あまりにも違う生き物であるふたりは対話による相互理解よりも殴り合いを選んだ。スポーツのように殴り合い、締め上げ合い、床に引き倒し合う。一対の動物のようになるまで暴れる。理性を振り払い、抑圧を引き剥がすことでやっと親密な関係になっていく。こう書くとロマンチックな展開だ。
シェリルは頭の中にクベルコ・ボンディという赤ん坊を宿らせている。街中で赤ん坊を見かけるとシェリルはわが子「クベルコ・ボンディ」なんじゃないかと夢想する。
すったもんだあって、シェリルは現実に赤ん坊を持つことになる。保育器の中の赤ん坊に向かってシェリルは語りかける。
「どうかこの部屋だけで判断しないで。この部屋だけが世界じゃないんだから。世界のほかの場所では、まぶしいお日さまがつやつやした葉っぱに照りつけたり、雲が何かの形になって崩れてまたべつの形になったり、クモの巣が少し破けて、それでも用を成していたりするの」
「あなたはこれから何か食べたり、くだらないことで笑ったり、徹夜ってどんな感じたくて朝まで起きたり、苦しいくらい恋をしたり、迷ったり後悔したり憧れたり秘密を持ったりするの。そしてヨボヨボのお爺さんになって長い人生にくたびれて死ぬ。そうなってはじめてあなたは死ぬの。今じゃなく」
シェリルのこのセリフから、彼女は現実の痛みや衝突を引き受けていく覚悟と用意ができたことを感じる。クベルコ・ボンディはもういない。
シェリルはクリーがもたらした汚物や激臭によって恋のなんたるかを理解したのだと思う。頭の中で描いていたセックスもロマンスも悪い男への固執も消え去った。頭の中と現実の二重生活が終焉し、シェリルは人として本当に生き始める。
ミランダ・ジュライの作品のことがだいすきだ。だいすきだが、登場人物たちが抱える問題や性質を他人事だと思えない場合が多い。クベルコ・ボンディのくだりもそうだ。最初はクベルコ・ボンディの存在が全く意味不明だった。笑っていた。だけどシェリルの生活や痛々しさを浴びるにつれてクベルコ・ボンディの存在と意味がわかるようになった。そしてわたしの中にも似たような存在がいることにも気付いてしまった。こんな恥ずかしいこと気付きたくなかった。
こんな恥ずかしいこと気付きたくなかった、この作品はその連続である。ここがこの作品の凄さなんじゃないかと思う。
