
益田
@msd
2025年8月25日

読んでる
「あえて創作してまでも「敗者」が必要とした玉音写真の機能をメディア論からまとめておこう。
確かに、敗者は映像を持たない。しかし、自らの歴史を語るために、写真は不可なメディアである。写真は、一瞬の出来事を時間の流れから取り出し、固定させるパーソナルなメディアとして発明された。
やがて、出来事を忘却から守る写真は、「歴史」を生み出すメディアへと発展した。こうして証拠写真を所有するものが、過去を所有するものとなる。あらゆる写真には、歴史のポリティックスが内在している。
第一章で明らかにするように、戦後の日本人は玉音放送の八月一五日を終戦記念日と記憶し、戦艦ミズーリ号で降伏文書調印が行われた九月二日の降伏記念日を忘却した。」(p51-52)