
読書猫
@bookcat
2025年8月26日

その時あの時の今
山田太一
読み終わった
(本文抜粋)
“大体、それほど風変わりでもない男女が知り合って一緒になるまでの話に、二十六時間はいりません。といって平凡なそのあたりの人々の物語に、そうそう派手な事件は起こせない。すると、たとえば披露宴によぶ人を決めるというだけで一時間つかってしまうとか、女の方の姉がまだ独身で、面白くなくて一日街を歩くということだけで一時間をつかってしまうとか、映画では考えられない贅沢な時間のつかい方で、平凡な女や男の一日を書くことができるわけです。勿論それには面白く見せなければならないという条件がつきまとうわけですが、そのスピードの遅さ、ありあまる時間を、「真面目に」ライターが引き受けた時、テレビドラマは、他のメディアにはない力を発揮するのではないか、とよく思うわけです。思うだけで一向に発揮できませんけれど、それは力不足のせいで、テレビドラマには、その可能性が豊かにあるという気がしています。”
(「日常をシナリオ化するということ」より)
“しかし、私見によれば、テレビドラマの魅力のひとつは「枝葉」や「モタモタした進行」にあるのであり、演劇も映画もとりあげない「深い意味をつけようもないつまらぬ細部を拾って行く」ところにある。”
(「枝葉の魅力」より)
“まったく、こんな風にして私は大抵のことを受け入れてしまう。気むずかしくないことは、自分でも嫌になるほどだ。決った俳優さんに合せて、あらかじめ考えていた人物像を変えて行くことに、快感のようなものがあるのだ。“
(「五月の三日間」より)
”話すと意外な一面を持っている人っているでしょう。僕はそういう人が好きなんです。最近のドラマの会話の中には、何の本を読んでいるとか、どういうものが好きかって、あまり出てこないんですが、このドラマでは恋人たちの会話に観念の領域を含ませたかった。“
(語り下ろしインタビューより)
