saeko "「ありのまま」の身体" 2025年8月28日

saeko
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@saekyh
2025年8月28日
「ありのまま」の身体
わたしたちはいつになったら美しくあることから逃れることができるのだろう。 この本を読みながら、頭の中で絶え間なく考え続けた。 わたしはルッキズムや過食症、醜形恐怖症に苦しんだ過去がある。学生時代、同世代の男性にかわいい子とそうでない子で明らかに差をつけられ、自分はかわいくないんだと感じたことが、いまなお続く自己肯定感の低さの根幹にあると思う。ストレスの捌け口が食に向いてしまって、体重が増えるごとに漫然と「痩せなきゃ」と焦る。他人に撮られた自分の顔の写真を見てがっかりするのは日常茶飯事だが、顔立ちへのコンプレックスを募らせてパニックを起こしたように泣いたこともあったあの頃に比べたらだいぶマシになったのだろう。 子どもの頃からさまざまなメディアを通じて、画一的な美の基準を刷り込まれてきた。小学生の頃にはもう痩せていなければいけないと思いダイエットを考えていたし、高校生の頃には幅広二重の芸能人の写真を見ては羨ましさに焦がれた。昔に比べればいまは他人の容姿に言及することは社会的規範によって憚られているが、それでも見た目によって自分からも他人からも評価されることがなくなるわけではない。 そしてその事実に苦しくなる。 ボディポジティブとはどんな体型の自分も愛そうというムーブメントだが、そもそもなんで自分の身体を愛さなきゃいけないんだという気持ちにもなる。「ありのまま」でいたいという気持ちと、見た目を磨くことで気分が上がる気持ちと、見た目がよくないことで劣等感を抱く気持ちが常に内混ぜになっている。 本書を見たとき、そんな葛藤に対してなにか答えを出してくれるのではないかと、縋るような気持ちだったのだが、ほとんどがファッションと美容とボディイメージをめぐる社会の趨勢の分析に止まっていた。提言されていたのは、こうした矛盾に自覚的であること、今後も健やかな美容産業の形を模索し続けることのみで、本質的な解決や救いに繋がるものではなく、正直少しがっかりしたが、まあそれが率直な現状なのだろうとも思った。 我々が身体をインターフェイスとして生きている以上、その評価から逃れることはできないし、刷り込まれてしまった美の規範を忘却することもできないが、それが外的要因で形成されたもので、時代と共にうつろうものであると知っていることで、少しでも苦しさから解放されることができるのかもしれない。
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