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saeko
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@saekyh
2025.07以降に読んだものと思ったことの記録
  • 2026年3月31日
    ある日、逗子へアジフライを食べに
    豪華な行き先でも瀟洒な食べ物でもない、等身大の旅を楽しむ姿が心地よい。 静岡、山梨、長野、なんなら池袋や三軒茶屋など、身近な場所でささやかな出会いに心動かされる大人の「こたび」は素敵だなと思った。 まるで実母の手記を読んでいるような親近感と温かみを覚えたのだが、調べてみるとほぼ同年代で納得した。
  • 2026年3月28日
    勉強の哲学 来たるべきバカのために 増補版
    勉強とはどういう行為で、それによって自分がどう変わるのかについての考え方を示してくれる本。 千葉さん専門のフランス現代思想をもとに、こちらでは「現代思想入門」よりもさらに噛み砕いた形で書いてくれているので、あわせて読むことで理解が深まる感じがしてよかった。 人はみなその環境のノリで生きているバカである。勉強とはそのノリを批判する=ツッコミを入れるアイロニーである。アイロニーを突き詰めようとすると、異なる環境に身を置くことになる。その転回によって見方を変えることがユーモアである。しかし過剰なユーモアは意味飽和のナンセンスを生み出してしまうため、その人の「享楽的こだわり」によって意味を仮固定する。それはまた新しい環境におけるバカになったということである…。 内容全部を咀嚼できていないけどすごく刺激的で、読みながら自分のいろいろな経験を紐づけて考えてしまった。 カフェで隣の席の男の子が「哲学勉強してるやつってみんなキモい」と話してて、純度の高い悪口にシビれたが、哲学というアイロニックな立場で社会のノリを批判するやつらはそれはキモいということなんだ、と震えるほど腹落ちした。 突き詰めていくとナンセンスになってしまうから、意味を決めるのは自分のこだわりなんだ、という話も、なんだかAI隆盛の現代で人間として必要な資質な気がして、さらにシビれた。
  • 2026年3月22日
    現代思想入門
    現代思想入門
    デリダ、ドゥールーズ、ガタリ、ラカンといった、1950年代以降に活躍した哲学者の研究について知見がなかったので、大掴みに説明してもらえて本当に助かった。 センスの哲学を読んだときにも思ったけど、千葉雅也先生は、複雑なことのエッセンスをそのままに、でもできるだけひらいてわかりやすく多くの人に伝わりやすいように文章を書いてくれるところがかっこいいと思う。 東浩紀さんや松村卓也さんなどの最近感銘を受けた作家もこれらの思想に影響を受けているんだという点と点が繋がる感じもすごくよかった。観光客の哲学はつまり二項対立からの脱構築だったんだ! フランス現代思想の人々は、既存の常識を破壊していく感じがして衝撃を受ける。でもそれが、社会の当たり前になんで??と悶々とする自分にとっては救われるというか、知ることで自由になれることで、だから自分は哲学が面白いと感じるんだろうなあと思った。
  • 2026年3月17日
    機械ぎらい 機械音痴のテクノロジー史
    HCIの話なのだが、専門家ではなくて利用者の目線で書かれているのが新鮮でおもしろかった。 モバイルオーダー、飲食店予約システム、セルフレジ、予約しないと並ぶことすらできない万博、情報戦になったディズニーランド…などなど身近な事例を紐とき、技術は発展しているけど必ずしも便利とはいえないインターフェースが蔓延る状況を嘆いている。 なぜ使いにくいデザインが生き残るのか?という問いについて、実は我々は官僚制に魅力を感じているからだというデヴィッド・グレーバーの考え方が興味深かった。明確に守るべきルールがある役所的な仕事を律儀に貫徹させることに快楽があるという主張。 明らかにデザインのルールに反している、使いづらいだろうというインターフェースでも、「慣れてるから変えないでほしい」という声があがる一端はこういう性質にあるのかもしれない。 デザイン改善が難しいのは、そういうユーザからのハレーションを避けるためだったり、事業のリターンが語りづらいから、という理由が主だけど、インターフェースのデザインの社会的責任を考えたときにそんなこと言ってられるんかという気持ちになる。 作り手の視点に凝り固まった自分にいい刺激になった。
  • 2026年3月16日
    デザインシステムの育て方
    デザインシステムの育て方
    積読してたけど仕事のために読んだ。 自分がデザインシステムだと思っていたものはUIキットでしかなかった!一貫性、統一感、効率的なプロダクトデザインのために必要な仕組みの総称をシステムと呼ぶ。 成功の指標として、いわゆるOKRだけではなく、仕事を楽にすることで人々が安心して働ける環境を作ること、と言っているのがスケールが大きくていい話だと思った。
  • 2026年3月16日
    測りすぎ
    測りすぎ
    主に人間の仕事を定量的に評価することや、その結果としての能力給の妥当性を問う内容。 自分はどちらかというと事業の成功を測るKPIやKGIの扱い方について興味があったので少しズレはあったけど、それでも充分おもしろかった。 定量的な測定に意味がないわけではないけれども、あまりにも信奉されすぎて意味のない指標まで評価されると、誤った結果を導くどころか組織全体のパフォーマンスまで低下させてしまう。 測定される対象は無生物に近いほど信頼性が高いが、人間は測定されることに反応してしまう、というのはわかってはいたものの改めてクリアにされると面白かった。 測定を絶対視するのではなくて、うまく活用していくバランス感覚が大事だと思わさせられる。
  • 2026年3月6日
    理系の読み方
    理系の読み方
    ド文系だから理系の学問のことは全然よくわからないけど、 伝えたいことがあるから小説を書くんじゃなくて、こういう形式で書いてみたいという気持ちで書いた結果として意味が生まれる、という主張が一貫していて そのなかで百年の孤独をフラクタルになぞらえて捉えているエピソードが面白かった。 フラクタルとは単純操作を何度も繰り返すことで生成される図形のことで、百年の孤独ではひとつの物語の中に無数の物語が存在しているからフラクタル的である。だから煩雑でわかりづらいのだけど、伝えたいことが伝わるようにわかりやすく書いた小説は設計図以上の結果にならない一方で、フラクタルな構造の小説は「どんな形になるのか」が予期しづらいことを肯定的に捉えていて、これは人生のことを言っているようだなあと思った。 理系の学問って合目的的で論理的なイメージがあったので、こういう探索的・発散的な思考が肯定されるというのが興味深かった。
  • 2026年3月1日
    デザインのデザイン
    20年以上前に書かれたとは思えないほどの普遍性がある。 大量生産の時代に生まれた安かろう悪かろうの製品に対するアンチテーゼとして生まれたデザインという概念の社会主義的な理想を汲み、加速度的に成長していく資本主義社会のなかにありながらも、いちデザイナーとして消費者の欲望をエデュケートできるような製品を世に送り出していくことに対する意志を感じた。 すぐに真似して実践できるようなことはとてもないだろうけど、常に心の底においておいてじわじわと染み込ませるように自分の仕事に影響させたい、と思うような簡潔で骨太な思想。
  • 2026年2月22日
    日本文化、寄り道の旅 〜彬子女王殿下特別講義〜
    皇族の内情を知る機会はほとんどないので面白かった。 最後の三笠宮殿下に関する章は、良い面ばかりが書かれすぎて皇室プロパガンダっぽいなあと思ったけど(まあ皇族ネタはみんなそうか)、人類がいるかぎり踊りはなくならないものだから、世界平和の一助としてダンスを世間に広めようとしたという話は、子どもの頃からダンスをやっている自分にとって印象に残った。 でも年始の皇族百人一首で「三笠の山にいでし月かも」を取るために三笠宮家が死闘を繰り広げる話がいちばんおもしろいと思う
  • 2026年2月21日
    学芸員しか知らない 美術館が楽しくなる話
    学芸員の友だちの話を思い浮かべながら読んだ。 展示会の企画から実現までの仕事の流れの話を読んで、めちゃくちゃ要件定義とプロジェクトマネジメントしてる…!となった。 テーマ先行ではなく、展示できる作品ありきで展示会のコンセプトが決まる、というのがすごく現実的で印象に残った。 一期一会の美術館の展示、もっと味わって楽しもう…。 美術は生活において無駄なものかもしれないけど、無駄があってこそ人生は豊かになるんだ、という気持ちが伝わってきてよかった。
  • 2026年2月16日
    新書 世界現代史 なぜ「力こそ正義」はよみがえったのか
    第二次世界大戦を終えて、民主主義と資本主義の正しさが証明されて、世界は平和になった、わけではない。 最近登場した強権的な政治家や、ガザやウクライナで起こっている出来事が、突然生まれたものではなくて、脈々と続く戦いと圧政の歴史の流れによるものだということがわかる。 祖国を奪われること、文化が失われることの恐怖や屈辱はどの国も共通としたとき、この戦争が終わる未来は描けるのだろうか。
  • 2026年2月14日
    はじめての戦争と平和
    読みやすくて一気に読んだ。 憲法の改訂、防衛費の増大、非核三原則の見直しと、自民党は戦争に向かうつもりか。選挙期間中に多く聞かれた批判であるし、自分自身もそう思っていた。 もちろん戦争が起こるべきではないのは当然だけれど、当為と存在は別、つまり起こるべきではないけど実際は起こってしまうと考えたときに、どのように抑止すべきなのか、は一筋縄ではいかない問いだ。 国際政治と安全保障は、ものすごく多面的で、どの角度から見るかによって正解が異なる。 たとえば軍備拡大はよくないというけれど、軍事力を甘く見られて攻め込まれてもいいの? 核兵器はよくないけれど、持っていること自体が核兵器の行使の抑止になるとしたら? 国際情勢は刻一刻と変わるので、過去のセオリーがいまも通用するとは限らない。 しかも政治は結果論で評価されるので、事前の妥当性の評価がとても難しい。 単純化した理想論ではなく現実的な目線で、戦争を起こさないためにはどうするべきかを考えるための枠組みを教えてくれる本だった。
  • 2026年2月12日
    「なぜ1+1=2なのか?」からはじめる非常識な数学教室
    筋金入りの数学嫌いで、テストは万年赤点、高校生のときに数学の問題を解くのが嫌で嫌で、ドリルのページを握りつぶした記憶が鮮明に残っている。そんなわたしが常にひっかかっていたのが「なんでそうなるのか?」「なんでこんなことをするのか?」という前提で、これが理解できないゆえ自分は数学が苦手なのだと思っていたが、この本では「数学が苦手な人と数学者の考え方は同じだ」というのだから嬉しい驚きだ。 たしかに、「1+1=2になるのはなぜか?」「4+2=2+4といえるのはなぜか?」などは、当たり前のように見えて深遠な問いのような感じがする。そして抽象数学においては、答えは常に一つではなくて、前提によって変わる。つまり、「なぜXなのか?」ではなく「Xになるのはどのような場合か?」という問い立てが妥当というのはなるほど、と思った。 数字や図形などの抽象度の高い情報にはやはりあまり興味が持てなくて、結構読み飛ばしてしまったけど、数字によって情報を抽象化(=一般化)することで、世界をもっと高解像度で理解できるようになる、という考え方はおもしろかった。 作者が本当に数学が好きだという想いが伝わってくるのがとてもいい。
  • 2026年2月4日
    KISSA BY KISSA 路上と喫茶ー僕が日本を歩いて旅する理由
    東京から京都をつなぐ中山道を徒歩で踏破したアメリカ人作家クレイグ・モドによる、旅の道中で出会った喫茶店の記録。 翻訳文とはにわかに信じがたい豊かな語り口で、時を止めたまま少しずつ失われゆく日本の喫茶店(とピザトースト)の姿を描く。 どこか寂しさと静謐さを湛えながらもセンチメンタリズムに陥いることのないフラットな眼差しに、自分は目の前にある社会の姿と向き合えているだろうかと考えさせられる。 ただ好き、おいしい、興味深い、という気持ちだけでなく、彼の生い立ちや人生観に深く紐づいた物語を読んで、出会いの意味と無意味さに想いを馳せた。
  • 2026年1月31日
    ショッピン・イン・アオモリ
    合間に挟まれるチョコレートコラムに心惹かれた。青森市の珈琲クレオパトラのチョコレートシフォンケーキ、佇まいが上品で美しい!弘前にあるというみらぼおのチョコレートパンケーキ、きっと甘さが濃厚で美味しいんだろうなあ…食べてみたい! 青森名物からちょっとした日用品までいろいろなアイテムが取り上げられているけども、やっぱり食べ物に関する話がいちばんわくわくする。
  • 2026年1月27日
    センスの哲学
    センスの哲学
    センスといえば、いろんなものを学んで、構造を抽象化して、自分も再現できるように…みたいなロジカルな話になるかと思ったら、もっと自由で発散的な話で、少し驚いた。 センスを「不在」と「存在」のリズムと捉えて、自由に構成してみる。人間は安定性を求めながらも、不安定に享楽を感じるものだし、無秩序に見えるリズムにも、なんらかの物語を感じようとするものだという。 本当にそれでセンスのあるものが作れるのかなあ、なんか意図とか大事なんじゃないのか、という気はするが、意味とか目的から抜け出して、単一のメッセージで括らずに、細かい出来事に心を動かされながら、物事の複雑性に目を向けられるようになるというのは、大切なことだと思う。
  • 2026年1月23日
    世界の食卓から社会が見える
    テーブルに並んだ食べ物はすべて社会と紐づいている、ということは感覚的にはわかりつつも、あまりふみこんで調べたことがなかったのでおもしろかった! 様々な国の食事情とその背景にある社会情勢について、詳しく調べられていて、おいしそうな食べ物にそそられつつも勉強になる。そしてそれぞれの国の家庭に実際に足を運んでいる岡根谷さんの行動力がすごい。 ヨーグルトはブルガリアの名産というわけではなくて、社会主義経済において国民に分配するのに最適化された栄養食という話とか、日本の野菜が水っぽくて味が薄いと言われるのは、女性の社会進出に伴う時短料理の需要に応えるためとか、まさかそんなことと結びついていたのか!という目から鱗の発見がたくさんあった。
  • 2026年1月17日
    目的への抵抗
    目的への抵抗
    「暇と退屈の倫理学」がおもしろかったので。 こちらは高校生向けの講義の書き起こしなので、文章が平易で読みやすい。 感染症の流行を理由に、政府が国民の移動の自由を制限することは許されるのか。政府は合目的的に存在するものなのか。 当たり前だと思っている出来事に対して疑問を投げかけ、会話を重ねていくことの大切さを説いている。 本書のタイトルにもなっている、目的に捉われないことの重要さは共感できる。本書では、目的のない行為は存在しないが、行為が目的を超える範囲で人間は自由であるという。たとえば、売上を向上させるという目的で仕事が発生しても、目的に捉われずにその仕事を楽しめるとき、人は自由であるということだろうか。 これは「暇と退屈の倫理学」でも書かれていた「目の前のことを楽しむ」ということに共通しているのだろうと思った。 一方で、遊びとしての社会活動や政治、というのも書かれていたが、社会活動が目的を超えたら ー たとえば、自分たちを抑圧している何かを解消したいという目的を超えて、参加者がその活動そのものに楽しみを見出すことになったとき ー 参加者にとっては自由を感じる楽しい経験になるかもしらないけれども、方向性を誤ると暴走してしまったりすることにつながらないのかなあと思った。 ただふむふむと納得させられるだけでなく、批判的にも考えさせられる一冊だった。
  • 2026年1月15日
    純粋哲学の世界
    「専門用語を用いず平易な日常言語で語られる」という文句のわりには語り口が小難しく、読みづらいと感じてしまった。 また入門書を銘打ってはいるが、歴史や理論についてではなく、あくまで筆者の問題意識や考えに則って話が進んでいくので、どちらかというとエッセイに近いなという印象を受けた。 逆にいえば、哲学の用語などの紹介ではなく、「哲学的に思考することの入門書」という切り口は新鮮だなとは思った。
  • 2026年1月12日
    暇と退屈の倫理学
    世間に数多ある「東大・京大でもっとも読まれた本」の代表作。 かなり前から本屋に並んでおり、友人も薦めていたので認知はしていたのだが、その重厚なタイトルに引け目を感じて、なかなか手が伸びなかった。 しかし、最近哲学に関する本を読むようになってハードルが下がってきたのと、なにより「自分はなんのために生きているんだ」「これからどうやって生きていったらいいんだろう」と考えることが増えたことをきっかけに、発売後15年経ってもいまだ平積みされているこの本を手に取ってみた。 環境には恵まれている。住む場所があり、家庭があり、友人があり、ほどよく仕事をして、ほどよく余暇を過ごす。そんな生活をする中で、「自分はこのままでいいのだろうか」と焦りを感じるようになった。 幼い頃からの夢が叶えられていないような気がする。テレビを観れば、努力を重ねてひとかどの者になった人たちが特集されている。自分もやりたいことをやって、何事かを成すべきではないのか。でも、それって一体なんなんだ、どうやったらいいんだ…。 こんな思考のスパイラルに陥っている自分の状態をまさに言い表した一冊だった。 豊かな社会では、暇ができる。その暇の中で、人間は退屈している。そこで人間は暇を悪とみなし、退屈をまぎらわすための何かを探している。それは例えば、人から与えられるものを消費することであったり、仕事をしたりすることである。 消費は、自分の欲望ではなく、他者から与えられた欲望を内面化しようとする行為なので、永遠に満たされない。 仕事は、なんらかの信条に隷属的で、それ以外の物事に対して盲目的なので、人は「自分はこれをやっていればいいのだ」と楽になる。しかし、その仕事の遂行の中で、自分の期待通りに事が運ばないと、また退屈する。そしてまた隷属の対象を見つける…。 こうして人間は生きている限り退屈のループから逃れられない。 この考え方にはっとさせられた。学生時代は「将来の夢=仕事」と単純化して人生を捉えていた。しかし実際は、生活もあるし、趣味もあるし、さまざまな要素がある。そのさまざまな要素を行き来する中で、わたしはなんとなく退屈していて、隷属する対象を求めて「なにか打ち込める仕事を」と考えていたのだ。 國分氏はこの考え方を批判する。それは人生の多様な要素を排除しており、その純粋さゆえに、極度の愛国心やテロリズムなどにも通ずる、破壊に繋がりうるからである。 では私たちはどう生きていったらいいのか?氏の提言は主に2つ。人生を「楽しむ」ことと「考える」ことである。 楽しむことは、瞬間的な享楽を消費することではなくて、目の前のことにしっかりと時間をかけて、知識も身につけて向き合うことである。その対象は食でも、芸術でも、なんでもよい。退屈を仕事で凌ごうとする欲求に抗って、自分が楽しいと感じることを噛み締める贅沢な時間を過ごすのだ。 その次に、楽しんで終わりではなく、考えることだ。氏は、ある物事を楽しんでいれば、自然と考えることに繋がると主張する。たとえば、この味わいはどうやったら生まれるのだろう?とか、この芸術家はなにに影響を受けているのだろう?というように。 刹那的な情報をいったりきたりするのではなくて、自分が「楽しい」と感じることを「考える」暇をつくることが、退屈とうまく付き合っていく生き方なのではないか、という考え方だ。 この本が出版されたのは15年前ではあるけれども、まったく色褪せない主張だと感じた。 わたしたちの生活の一部になってしまったSNSを介して、欲望を惹起するような情報が30秒、15秒という短時間で大量に流れ込んでくる。その情報の洪水の中で、様々なことに少しずつ羨望の眼差しを向け、欲望を再生産しながら、自分が何が欲しいのかわからなくなる。その欲求不満の捌け口として、邪念を振り捨てて取り組めるような信仰の対象を求め、仕事を通して自己実現しようとする…。 この他者が作り出す情報によりいつまでも満たされない退屈に歯止めをかけるために、自分自身の楽しみにしっかりと心を傾けることが大切なのだ。 経済的利潤を最大化するために加速していく資本主義の磁場に対して、この本の主張はその歯止めになるような力強いものではなく、社会の仕組みの構築というよりは個人の意識の中に止まる淡く儚いものであるとも感じる。しかしまずは自分個人の取り組みとしてその実践を始めて、人生への不満感が満たされるのか、自己変容が起きるのかどうかを試してみたい。 いままさに読んでよかった本だと思った。
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