
うえの
@uen0
2025年8月31日

彼女の名前は
すんみ,
チョ・ナムジュ,
小山内園子
読み終わった
「誰かの母」「誰かの妻」「女子高生」「給食のおばちゃん」「誰かの娘」ではなく、ひとりひとりを描き、彼女たちが上げた声を繋いでゆく物語。
印象に残った言葉---------
黙ってやり過ごす二番目の人にはなりたくはなかった。三番目、四番目、五番目の被害者を作るつもりは、ない。
ただ、おもしろくてやりがいのある仕事にそれ相応の報酬が与えられたら、どんなにいいだろうかと思う。
私だってそうだったんだよ。あたしたちの頃はもっと酷かったんだから。そんなことを言う先輩にはなるまいと、心に誓った。でもそれだけでは足りない。言ってはならないことを言わない人で終わらず、言うべきことを言える人にならなければ。自分が今日のみ込んだ言葉、自分しか言ってあげられない言葉について、考えている。
あんたが愛嬌ふりまいてもふりまかなくても関係ない。あんたはいつだって、あたしのウォンだから。愛嬌なんか、くそくらえってんだ。
でも、いざこんな目に遭ってみると、お金がないってことはちょっと残念ですまされる話じゃない。命を脅かされることなんだね。
三十年後、ひょっとしたらそれより早く訪れるかもしれない自分の最後の瞬間を想像する。おそらくそばに家族はいないだろうし、私はその時も後悔していないだろう。まだ熱の残る私の骨箱を抱いてこの道を歩くであろう誰かが、しっかりしていて礼儀正しい、こういうことになれた人であってほしいと思う。
結婚して。いいことの方が多いから。ただ、結婚しても誰かの妻、誰かの嫁、誰かの母になろうってがんばらないで、自分のままでいて
空気を読まないでいられるのだって権力だよ
女性の仕事を臨時的な職や補助的な仕事だけに限定しないための闘い。
「最近の小学生はなんでも知ってるのよ。昨日の配食の時に、明日からストライキですよね。ストライキって何のためにやるんですか?と言われてびっくりしちゃった」
「で、何で答えたの?」
「あとであなたたちが、おばさんみたいに生きて欲しくないからだよって」
「お母さんみたいに生きたら、何がだめなのさ」
スビンは平然とごはんをたいらげ、弁当を作ってもらったお礼と忘れなかったけど、エレベータに乗るとがまんしていた涙が込み上げた。お母さんは、自分の人生をどんな人生だと思ってるのよ。
自分がどう暮らし、どんな態度をとり、どんな価値観を持つかは、周りの人を、組織を、もっといえば社会を、変えていくのだから。責任を果たす大人になりたい。
韓国には「卵で岩を打つ」ということわざがあります。卵を投げつけたからといって岩を穿つことができないように、絶対不可能で無謀なことをいう言葉です。これに対して「卵で岩は割れなくても汚すことはできる」というジョークも生まれました。誰が言い始めたのかわからないこの言葉が、私はとても好きです。役に立たない巨大な岩が私たちの前進を妨げているとき、そうか、と足を止めたり、引き返したりしたくありません。ここにそぐわない岩の塊が道を塞いでいるよと声を上げたいのです。一緒に悩んでみたいのです。
もしかしたら、ここにある物語は巨大で堅固な岩に投げつけられて割れた、無数の卵の痕跡かもしれません。そして私は、今日も卵を投げつけています。いつかこの岩は割れるはずだと、みんなで動かして無くせるはずだと信じながら。向こうにどんな道が続いているのだろうと、胸をときめかせながら。
訳者あとがき
社会の不条理に声を上げることは、現実を変えたいと宣言することである。変化を見届けようとすることである。
声を上げることそのものより、声を上げ続けることのほうがはるかに困難なのだ。
