KAZU "砂の女(新潮文庫)" 1900年1月1日

KAZU
@Reads-2501
1900年1月1日
砂の女(新潮文庫)
ただの不条理小説を超えた、人間存在そのものを問う深い物語に触れたように感じた。読み進めるうちに、主人公と女が少しずつ共同生活下での日常の中に意味を見出していく姿に、自分の心も揺さぶられていった。 印象的だったのは「罰がなければ、逃げるたのしみもない」という言葉である。自由を制限されているからこそ、そこから逃れたいと願い、もがくことに生の実感が宿る。人は完全な自由を求めるが、実は制約や罰があるからこそ「逃げる」ことに意味を見いだせるのだと気づかされ、胸を突かれた。 また、「日常の灰色に、皮膚の色まで灰色になりかけた連中を、じらせてやるには、この上もない有効な手口である」という一節からは、人間社会の閉塞感が突きつけられるようだった。灰色に染まることに慣れてしまった人々にとって、ほんのわずかな異物や揺さぶりが、逆に大きな刺激になる。僕自身の日常も、同じように単調さに沈み込む危うさをはらんでいることに気づかされ、どこか恐ろしくなった。 さらに「孤独とは、幻を求めて満たされない、渇きのことなのである」という表現には、人は孤独そのものよりも、幻を追い求めてしまう性にこそ苦しむのだ。主人公が穴の中で、女との共同生活に意味を見出そうとする姿は、その渇きを癒そうとする人間の根源的な営みを映し出しているように思えた。 そして何より、作者の比喩表現の豊かさ、美しい文体に私は強く惹き込まれた。砂の動き、孤独の質感、閉塞の空気――それらを具体的な比喩で描くことで、不条理な状況が現実以上のリアリティを帯びて迫ってくる。 『砂の女』は、単なる不気味な物語ではなく、自由と束縛、孤独と共同体、そして日常の意味を問いかける作品であった。読後、私は「人は制約の中でも、なお意味をつむぎ出す存在なのだ」という感覚を抱いた。この重苦しい問いかけは、私自身の生き方に深く食い込んで離れない。
読書のSNS&記録アプリ
hero-image
詳しく見る
©fuzkue 2025, All rights reserved