砂の女(新潮文庫)

34件の記録
- .@azzurro2025年9月5日読み終わった閉塞空間で主人公に最低限の情報しか与えられず、土地の人間たちはそれを知った上で主人公を観察飼育するように見ているというのが、どことなくSFっぽく感じる。 結局砂穴からの逃走をやめたのは子供ができたからなのか、それとも別の心情変化による物なのか。
- pessimism@notimetosleep2025年8月16日読み終わった読み始めると、自分がミニチュアになったような感覚におそわれるのは何故だろう...。実際は途方もなく広い砂漠なんかではなく、公園の砂場くらいの大きさを彷徨っているかのような。
- まりも@marimomo2025年7月26日読み終わった本@ Stavros Niarchos Foundation Library (SNFL)乾燥した砂漠のカラカラした空気、口に入った砂の不快感、喉の渇きなど描写が生々しくて読んでる方も閉じ込められたかのような不快感。 (ほめてる) 何となく難しそうって思ってたけど、スリリングな展開に引き込まれてずっと飽きさせない。おもしろかった!
- たま子@tama_co_co2025年7月6日読み終わった暑い。まとわりつく砂と熱気と乾燥。心までカサカサ干上がって、だけど時に艶かしく。緊張で手に汗握り心臓をバクバクさせ、希望と落胆を繰り返してもうくたくた。人生というものの、相も変わらぬ労働と反復の日々への絶望と孤独と…ささやかな充足。
- -ゞ-@bunkobonsuki2025年7月5日文学者の中で最初にワープロを使ったとされるほど、テクノロジーに関心を寄せていた作家、安部公房。「砂の女」は、彼の代表作である。 本作で安部公房は表現に対する貪欲な姿勢を見せる。物語の最後には「主人公はいまだに見つかっていない」という事実を、公的文書の体裁を用いて表現している。たった二枚の文書だけで、作品そのものの印象を際立つものにした。 安部公房は多彩な比喩が世界的作家の所以とされるが、その根幹には、文章にとどまらない表現自体に対する造形の深さがある。
- @nk@nk_250828-2025年1月30日かつて読んだ読了@nk行方不明となった男の、砂と女にまつわる物語。 自由とは何なのかを改めて考えさせられた。外にあるようで内にこそあるのかもしれない、と。 ひたすら砂という色味わずかな世界のなかで、膨大で多彩な比喩に目を見張るばかり。これが安部公房なのか。 ─ 罰がなければ、逃げるたのしみもない ─ 最後の境地を見届けてこの冒頭の1文に立ち戻ったとき、ずっとジャリジャリとしていた読み心地に、かの装置で得た水のように透明な輝きが差し込んだ。
- KAZU@Reads-25011900年1月1日読み終わった読書メモただの不条理小説を超えた、人間存在そのものを問う深い物語に触れたように感じた。読み進めるうちに、主人公と女が少しずつ共同生活下での日常の中に意味を見出していく姿に、自分の心も揺さぶられていった。 印象的だったのは「罰がなければ、逃げるたのしみもない」という言葉である。自由を制限されているからこそ、そこから逃れたいと願い、もがくことに生の実感が宿る。人は完全な自由を求めるが、実は制約や罰があるからこそ「逃げる」ことに意味を見いだせるのだと気づかされ、胸を突かれた。 また、「日常の灰色に、皮膚の色まで灰色になりかけた連中を、じらせてやるには、この上もない有効な手口である」という一節からは、人間社会の閉塞感が突きつけられるようだった。灰色に染まることに慣れてしまった人々にとって、ほんのわずかな異物や揺さぶりが、逆に大きな刺激になる。僕自身の日常も、同じように単調さに沈み込む危うさをはらんでいることに気づかされ、どこか恐ろしくなった。 さらに「孤独とは、幻を求めて満たされない、渇きのことなのである」という表現には、人は孤独そのものよりも、幻を追い求めてしまう性にこそ苦しむのだ。主人公が穴の中で、女との共同生活に意味を見出そうとする姿は、その渇きを癒そうとする人間の根源的な営みを映し出しているように思えた。 そして何より、作者の比喩表現の豊かさ、美しい文体に私は強く惹き込まれた。砂の動き、孤独の質感、閉塞の空気――それらを具体的な比喩で描くことで、不条理な状況が現実以上のリアリティを帯びて迫ってくる。 『砂の女』は、単なる不気味な物語ではなく、自由と束縛、孤独と共同体、そして日常の意味を問いかける作品であった。読後、私は「人は制約の中でも、なお意味をつむぎ出す存在なのだ」という感覚を抱いた。この重苦しい問いかけは、私自身の生き方に深く食い込んで離れない。