句読点 "日本習合論" 2025年9月5日

日本習合論
ORCで読み終えた。 いろいろと頷ける部分が多い本だった。 日本の文化は雑種文化であり、いろいろなものが混じり合っている。その典型が、神仏習合であったが、明治になって、その千年以上続いた長い伝統をあっさりと捨て去ってしまったのはなぜか、なぜ民衆は大きな抵抗もせず受け入れたのかという問いを軸に、現代日本のさまざまなトピックを「ごちゃ混ぜ」にしながら、それこそ習合させて論じていく一冊。 「日本人にとっては、土着と外来のものが習合しているのが「ふつう」である。いろいろな要素が出自や時代差を超えてハイブリッドされている状態が日本人にとっての「当たり前」なのです。」 「ところが、間歇的に、土着と外来を分離して、日本本来のものを単離せよという揺り戻しが起きる。純血状態、初期化をめざすバックラッシュが起きる。われわれが今あるところのものは、われわれの本然のあり方ではない。外来のものに汚染され、原初の清浄が失われたせいで、「こんなありさま」になっているのである。外来の異物を排除し、純粋状態に戻れば、もろもろの不調のすべては消失し、社会は活力を回復する」というような動きが最近世界中で強まっている。参政党の出現などはその典型だろう。 その流れに抗して、日本文化の底流に流れている「習合」的なあり方に依拠すること、両立し難いものをなんとか両立させようとする知性のあり方が求められているという。それは誰かに強制されるようなものではなく、各自が自発的に行なっていくべきもので、日本人にはそれが可能だという期待を著者は抱く。日本語ロックの草分け的存在であるはっぴいえんどのようなあり方で。「君が代」のメロディもイギリス人の音楽家の旋律をドイツ人音楽家が改作したもの。そこに日本の習合的なあり方のヒントがあるという。 普通は相容れないものも一旦は受け入れてみる。「頭の良さ」ではなく「頭のでかさ」を求める、というあとがきは面白かった。
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