
蟹
@sorejamdesho
2025年9月7日

建築と触覚
ユハニ・パッラスマー,
百合田香織
読み終わった
まず、視覚中心主義(ocularcentrism)という単語があることを知ることができてよかった。言語化されることで、いかにわたしたちの日々の行為が視覚に支配されているのか意識的になった。
> この技術社会での驚くべきスピードに唯一ついていくことのできる速さをもつ感覚、それが視覚だ
とあるように、次から次へ生み出され進化し続けるテクノロジーと視覚情報によって体験が平坦化しているのは、耳の痛い話だった。ちょうどインクルーシブデザインに関する本を併読しているのもあって、視覚を第一権威として体験がデザインされがちであることの危うさについてはもう少し知見を深めたいところ。
> (諸感覚に対する視覚の特権化という)問題は、眼がほかの諸感覚との本来の相互作用の範囲から外れて孤立すること、またほかの感覚を排除、抑制し、世界の経験が視覚の範疇へと次第に縮小、制限されることで生じる
という問題提起は、建築を体験する(公共施設であれば利用する、住宅であれば住まう、など)ことに対する意識の薄弱化と、表面的な「美」への執着が、建築家と利用者双方に起こっていることを示唆している。仕事柄、人間中心設計という考え方にはわりとセンシティブな方ではあるが、それが建築においても本来はコアであるべき(例えば暖炉は人が家の中を適温に保ち、あるいは団欒のひとときを過ごすために存在する)で、現代では軽視されがちになっていることが分かった。
> 真の建築的経験とは、ファサードの外見的な理解ではなく、建物に歩み寄る、あるいは建物に向き合う行為であり、扉の視覚的なデザインではなくその扉から入る経験だ
とも解説されている。
結びに書かれていた、
> 思い出し、記憶し、比較する行為はどんな経験にも欠かせない
は、美術鑑賞や旅行をするときにも心に留めておきたい一文。