
蟹
@sorejamdesho
- 2025年9月30日家父長制の起源 男たちはいかにして支配者になったのかアンジェラ・サイニー,道本美穂買った
- 2025年9月23日声を出して、呼びかけて、話せばいいのイ・ラン,斎藤真理子,浜辺ふう買った
- 2025年9月23日
- 2025年9月23日消費は何を変えるのかダニエル・ミラー読んでる
- 2025年9月22日日本の社会保障伊藤周平気になる
- 2025年9月22日物理学の哲学入門 Ⅰ: 空間と時間ジミー・エイムズ,ティム・モードリン,谷村省吾気になる
- 2025年9月22日資本主義にとって倫理とは何かジョセフ・ヒース,庭田よう子,瀧澤弘和気になる
- 2025年9月13日男性のいない美術史 女性芸術家たちが描くもうひとつの物語ケイティ・ヘッセル,福岡南央子(woolen),鮫島圭代気になる
- 2025年9月11日私は男が大嫌いポーリーヌ・アルマンジュ,中條千晴読み終わった昨日と今日で一気に読んだ。そんなに文章量も多くなく、平易な文章で書かれているので非常に読みやすい。 > 路上で冷やかしを受けたり、信頼していた男性に暴力を振るわれたり、「家庭をなんとかまわして」いるのは自分一人だけではない。その状態に辟易とするのは、自分の気が弱すぎるからでも、気が強すぎるからでもない。 この「気が強すぎるからでもない」という部分がかなり自分的に重要であり、言及してもらえていてありがたかった。気が弱い(弱そうに見える)女性ばかりが悩んだり落ち込んだり被害者になるわけではないということ! > 率直に男性が嫌いだと宣言することは、自分という枠に収まりきらない大きな怒りを表現することであり、男性の欠点や罪を許容しながら彼らにこんなにも多くの居場所を与えてしまう社会全体と、このような私たちの思いの丈を聞く覚悟ができていない男性一人一人と対立することだ。 自分一人じゃ抱えきれない怒りがミサンドリーとして表出しているのは、自分に置き換えてもそうだなと思った。 あと、ミソジニーとミサンドリーがコインの表裏のように扱われることについて。 そもそも > 私たちが男性から下に見られたときの怒りは、男性たちが私たちを蔑み、暴行し殺すという暴力や、私たちを無視し、背を向け、嘲笑うような暴力とは比べ物にならない。 ので、比較することは見当違い。 あと、語源のせいでミソジニーの対義語だと解釈されてしまいがちだけど、実際はミソジニーの「結果」であり「カウンター」として出現したと言った方がより正確。それがこの本ではきちんと言語化されていてよかった。 訳者解説の中でとても端的に表している文章があったので抜粋。 > ミサンドリーはミソジニーの単なる対義語、つまり女性による性差別を表す言葉ではなく、ミソジニーの帰結としての現象を表す語彙である。そして、社会における「家父長制という本質的にミソジニーである概念の制度化」が生んだ男女の支配構造に対する被支配者の反動が、嫌悪というかたちとなって現れたものがミサンドリーである。 あと、よく「女性は感情的だ」と一蹴してわたしたちの口を塞ぎ議論を回避する男性がいるけど(金曜日の社内イベントの講師もまさに同じことを言っていた)、 なぜわたしたちが感情を露わにするのか、そして「せざるを得ないのか」、彼らはきっと考えたことなど一度もないのだろう。 > 感情ではなく理屈や理性という領域を選ぶ男たちは、権力的な立場にある。どんな状況でも理性的で冷静でいられるのは、苦しむことのない立場にある支配者だけだ。 そもそも、女性が「男性が嫌い」と言っただけで、男性が「差別だ」と騒ぐのは本当に稚拙で自己愛に満ちた行為だと思っている。それは自分の持っている特権が脅かされることを危惧し、その特権をなんとか死守したいという極めて自己中心的な考えから出てくる反応だよね。 あと、わたしにはフェミニズムに関心を持つ男性をありがたく思いつつも、フェミニストを名乗る男性に対する不信感も正直あって、それについても書かれていたのかなりよかった。 フェミニズムに関心のある男性って、女性に連帯の意を示してくれたり、ジェンダーに関する問題意識を持って日々対話してくれる人が多い気がするんだけど、女性に寄り添うより先にやることがあるだろうとも思うわけです。それは、フェミニズムに関心のない、あるいはミソジニックな価値観を持つ、周りの男性たちを教育をしてあげることや、家父長制や男性の特権を解体するように発言し働きかけることなどじゃないかなと。 もちろん男性自身が家父長制やtoxic masculinityの被害者である場合もあるけれど、 > 社会資本が元から保障されてきた大金持ちの資本家が「私も新自由主義の被害者だ」として労働運動に突然参加し、その知識と雄弁さでもって労働者の苦境を積極的に語 ったとして、本当の意味でわたしたちの輪に入ることはできないし、それはおこがましいことだと思わざるを得ない。
- 2025年9月7日The Right LifeRemo H.Largo読んでる
- 2025年9月7日建築と触覚ユハニ・パッラスマー,百合田香織読み終わったまず、視覚中心主義(ocularcentrism)という単語があることを知ることができてよかった。言語化されることで、いかにわたしたちの日々の行為が視覚に支配されているのか意識的になった。 > この技術社会での驚くべきスピードに唯一ついていくことのできる速さをもつ感覚、それが視覚だ とあるように、次から次へ生み出され進化し続けるテクノロジーと視覚情報によって体験が平坦化しているのは、耳の痛い話だった。ちょうどインクルーシブデザインに関する本を併読しているのもあって、視覚を第一権威として体験がデザインされがちであることの危うさについてはもう少し知見を深めたいところ。 > (諸感覚に対する視覚の特権化という)問題は、眼がほかの諸感覚との本来の相互作用の範囲から外れて孤立すること、またほかの感覚を排除、抑制し、世界の経験が視覚の範疇へと次第に縮小、制限されることで生じる という問題提起は、建築を体験する(公共施設であれば利用する、住宅であれば住まう、など)ことに対する意識の薄弱化と、表面的な「美」への執着が、建築家と利用者双方に起こっていることを示唆している。仕事柄、人間中心設計という考え方にはわりとセンシティブな方ではあるが、それが建築においても本来はコアであるべき(例えば暖炉は人が家の中を適温に保ち、あるいは団欒のひとときを過ごすために存在する)で、現代では軽視されがちになっていることが分かった。 > 真の建築的経験とは、ファサードの外見的な理解ではなく、建物に歩み寄る、あるいは建物に向き合う行為であり、扉の視覚的なデザインではなくその扉から入る経験だ とも解説されている。 結びに書かれていた、 > 思い出し、記憶し、比較する行為はどんな経験にも欠かせない は、美術鑑賞や旅行をするときにも心に留めておきたい一文。
- 2025年9月7日フェミニズムとレジリエンスの政治アンジェラ・マクロビー,河野真太郎,田中東子読み終わった和訳があんまりよくないせいか、読むの大変だったけど読了! > ネオリベラルな価値観において仕事は家族という価値観への依存よりも優先され、同時に経済的自立の可能性を女性たちに認めているように見えることから、進歩的な公共政策としてある程度フェミニズムのお墨付きを得ている し、 > 現代の一人前の女性は常に働き手でいることを要求されそのことが尊敬と市民権の明確なしるしとなる けど、 これは生活保護を受けている/何らかの理由で働けない(働いていない)人々を晒し上げ、反福祉主義を増長させるっていうのが割と目から鱗だった。福祉とフェミニズムについては全然知見が足りてなかったのでそこを補えたのはよかった。 女性の社会進出(労働への参加)を推し進めてきたことが、逆に格差のある女性同士の分断を煽る形になったり、レールを外れた瞬間に自己責任という言葉で片づけられることで、過度な自責に苛まれたり社会に助けを求めづらくしてるんだなとか。 働いていないと無価値と見做されたり(自分でそう思ってしまったり)、社会から承認されない、っていうのほんとにやめよ?ってなった。日々の実体験として感じていることについて、自分の思考の整理になる部分も多かった。 福祉や社会保障にアクセスしにくくしているという構造の問題も指摘していた。福祉は本来誰にでも開かれていなければならないけど、国家やメディアに操作された人々の眼差しによって「受けるに値する人」と「受けるに値しない人」を区別している。 マイナンバーを利用して縦割りになっていた情報を一本化し、社会保障や福祉が自動的に(これは理想ではあるが)行き渡るくらいはしてほしい。韓国では、個人識別番号とそれに紐づけられた情報をもとに政府が自動的に支援金を振り込んでくれるように仕組みを整備する動きが始まったようだが、日本もやれよカスが。 また、生活保護受給や就労支援を受けることが恥ずべきことという認識が育った背景について、この著者はカルチュアルスタディーズの専門家でもあるので、国家だけでなく、国家に密接した大衆メディアによる「晒し上げ」の影響もあると書いていた。イギリスでビフォーアフター的な番組が流行ったことを例に用いて説明があった。 働いていない/働けないシングルマザーの女性の身体的特徴(太っている、煙草と酒の摂取量が多い、だらしない服装など)を劇的に変えて「素晴らしい」容姿に生まれ変わったのを「善し」とすることで、ビフォーに該当する女性たちをシェイミングしていると。
読み込み中...