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@DN_HP
2025年9月11日

百(新潮文庫)
色川武大
かつて読んだ
楽しみにしていたSF小説がなんだかしっくりこなくて、一旦休憩、と読みはじめた短編集。そんな本が特別になることがある。そういうときに、これがタイミング、というようなことを思う。
この短編集、特に「永日」という最後に収録されている短編で語られる父親とその関わり、それを書くことで浮き上がってくる「私」には、全く同じでは無いけれど無視することは到底出来ないわたしの人生との共通点があった。感情移入というより、そこに投影し反射してくるわたしの今までの人生に居た堪れなさを感じた。自省もはじまった。少し狼狽えた。それでも読み進めずにはいられない素晴らしい文章に誘われて読み進めていけば、そこから繋がるようにわたしの人生にもあった「きわだった或る一日」とそこから伸び拡がっている日々を思っていた。思っている。「いずれにしても永い日が、どうにもこうにも、暮れてこない。」この短編小説も、どうにもこうにもまだ読み終われない。
冒頭のセンテンス、その文体とフローから大好きな小説を思い出した。読み進めていけば構造も近いものがあるし、ところどころでまたその小説を思い出すセンテンスに出会った。読み終わってタイトルを改めてみると、ああ、なるほど、と勝手な納得をした。「永日」と「長い一日」。




