"私は男が大嫌い" 2025年9月11日

蟹
@sorejamdesho
2025年9月11日
私は男が大嫌い
私は男が大嫌い
ポーリーヌ・アルマンジュ,
中條千晴
昨日と今日で一気に読んだ。そんなに文章量も多くなく、平易な文章で書かれているので非常に読みやすい。 
 > 路上で冷やかしを受けたり、信頼していた男性に暴力を振るわれたり、「家庭をなんとかまわして」いるのは自分一人だけではない。その状態に辟易とするのは、自分の気が弱すぎるからでも、気が強すぎるからでもない。 この「気が強すぎるからでもない」という部分がかなり自分的に重要であり、言及してもらえていてありがたかった。気が弱い(弱そうに見える)女性ばかりが悩んだり落ち込んだり被害者になるわけではないということ! 
 > 率直に男性が嫌いだと宣言することは、自分という枠に収まりきらない大きな怒りを表現することであり、男性の欠点や罪を許容しながら彼らにこんなにも多くの居場所を与えてしまう社会全体と、このような私たちの思いの丈を聞く覚悟ができていない男性一人一人と対立することだ。 自分一人じゃ抱えきれない怒りがミサンドリーとして表出しているのは、自分に置き換えてもそうだなと思った。
 あと、ミソジニーとミサンドリーがコインの表裏のように扱われることについて。 そもそも > 私たちが男性から下に見られたときの怒りは、男性たちが私たちを蔑み、暴行し殺すという暴力や、私たちを無視し、背を向け、嘲笑うような暴力とは比べ物にならない。 ので、比較することは見当違い。 あと、語源のせいでミソジニーの対義語だと解釈されてしまいがちだけど、実際はミソジニーの「結果」であり「カウンター」として出現したと言った方がより正確。それがこの本ではきちんと言語化されていてよかった。 訳者解説の中でとても端的に表している文章があったので抜粋。 > ミサンドリーはミソジニーの単なる対義語、つまり女性による性差別を表す言葉ではなく、ミソジニーの帰結としての現象を表す語彙である。そして、社会における「家父長制という本質的にミソジニーである概念の制度化」が生んだ男女の支配構造に対する被支配者の反動が、嫌悪というかたちとなって現れたものがミサンドリーである。 
あと、よく「女性は感情的だ」と一蹴してわたしたちの口を塞ぎ議論を回避する男性がいるけど(金曜日の社内イベントの講師もまさに同じことを言っていた)、 なぜわたしたちが感情を露わにするのか、そして「せざるを得ないのか」、彼らはきっと考えたことなど一度もないのだろう。 > 感情ではなく理屈や理性という領域を選ぶ男たちは、権力的な立場にある。どんな状況でも理性的で冷静でいられるのは、苦しむことのない立場にある支配者だけだ。 そもそも、女性が「男性が嫌い」と言っただけで、男性が「差別だ」と騒ぐのは本当に稚拙で自己愛に満ちた行為だと思っている。それは自分の持っている特権が脅かされることを危惧し、その特権をなんとか死守したいという極めて自己中心的な考えから出てくる反応だよね。 
あと、わたしにはフェミニズムに関心を持つ男性をありがたく思いつつも、フェミニストを名乗る男性に対する不信感も正直あって、それについても書かれていたのかなりよかった。 フェミニズムに関心のある男性って、女性に連帯の意を示してくれたり、ジェンダーに関する問題意識を持って日々対話してくれる人が多い気がするんだけど、女性に寄り添うより先にやることがあるだろうとも思うわけです。それは、フェミニズムに関心のない、あるいはミソジニックな価値観を持つ、周りの男性たちを教育をしてあげることや、家父長制や男性の特権を解体するように発言し働きかけることなどじゃないかなと。 もちろん男性自身が家父長制やtoxic masculinityの被害者である場合もあるけれど、 > 社会資本が元から保障されてきた大金持ちの資本家が「私も新自由主義の被害者だ」として労働運動に突然参加し、その知識と雄弁さでもって労働者の苦境を積極的に語 ったとして、本当の意味でわたしたちの輪に入ることはできないし、それはおこがましいことだと思わざるを得ない。
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