リチウム
@tanki
“「障害のある人」「多文化」などの用語が、 ふたたびスティグマをこめた差別用語として使われているように、単語を変えても、その対象を差別する感情が消えないかぎり、スティグマは消えずによみがえるのだ。
そのため、マイノリティ集団が、スティグマのついた言葉をみずから再占有することもある。どうせ差別的な用語なら、いっそ積極的に、みずからをさす言葉として使うことで、その言葉にポジティブな意味を与えてしまうという戦略だ。” p100
リチウム
@tanki
“望まないレッテルを貼られる経験をした側は、マイノリティとしての社会的地位と無力さを感じることになる。あなたは、自分が望む呼び方で呼ばれているだろうか。 相手が望む呼び方で呼んでいるだろうか。あなたの名指す権力の大きさはどのていどで、その権力をどのように行使しているだろうか。” p102
リチウム
@tanki
“私たちは教育を通じて、不公正な能力主義を学んでいるのではないだろうか。そのことによって、何ごとも不合理に区分しようとする、不平等な社会をつくっているのではないか。いまさらながら怖くなる。”p124
リチウム
@tanki
“公共施設への平等なアクセスが拒否された瞬間、個人の尊厳は損なわれてしまう。公民権法の主な目的は、このような問題を解決することにある。差別はたんに紙幣や小銭、ハンバーガーや映画の問題ではない。人種や肌の色を理由に、だれかを社会の構成員として受け入れないとするとき、その人が感じる侮蔑感、挫折感、羞恥心の問題である。”p.126
リチウム
@tanki
“韓国社会では「多文化」 という言葉そのものが、特定の人をさす単語になってしまった。「本物」の韓国人ではない人を区別する用語として使われているのだ。
韓国人は「多文化」に属さないことを前提としたこの奇妙な構図は、韓国人を中心に考える矛盾した認識構造を反映しているように見える。それなのに、人々は「多文化」という言葉を使うことで、みずからが多様な文化を等しく尊重していると勘違いする。多文化主義を真剣に考える前に、言葉が汚れてしまい、原本がわかりにくくなっているかのようだ。”p.142
リチウム
@tanki
読み始める前に裏表紙を見た時は、「なんだろうこれ?」という感想だった。
改めて表紙を見て「この鳥かごかぁ!」と気付いた。
そして読み進める内に、あの裏表紙がどれだけこの本の本質を突いたデザインだったのかを思い知った。
素晴らしい。