石坂わたる
@ishizakawataru
2025年9月15日

都市計画: 利権の構図を超えて
五十嵐敬喜,
小川明雄
「(中野区吉田事件 東京地方裁判所 1978.9.21)『近隣住民の意思を考慮することなく建築行政を行うことはもはや不可能であり、建築確認制度のみでは対処できないこれらの問題を事実に即して妥当な解決をすることが建築行政上関係地方公共団体に強く求められ、かつ重要な機能を果している』」
「世田谷区の『住宅条例』は、まず区は『すべての区民が、地域の個性を生かした魅力的なまちづくりを進めつつ、良好な住生活を主体的に営むことができる権利を有することを確認し、その充実を図ることを、住宅及び住環境の維持及び向上についての基本理念とする』とうたい、区民が良好な住宅を持つことは権利だと述べている。」
「裁判においても、市町村の行政指導よりも、議会の議決、つまり全住民の意志によって決められる条例の方が、『正当性』をより強くもっている。」
「ひるがえって考えてみれば、都市の問題に限ってもこれだけ多数の要綱と条例ができていることは、もはや『国家高権論』による全国画一の都市法の体系が限界をこえていることを証明している。」
「共同案によれば、土地所有権は、はじめから『絶対的』なものとしてあるのではなく、その利用方法をマスタープランづくりなどを通じて、住民がみんなで決めていくのだということになる。そのプロセスのなかで、新しい所有権が生まれる。これは『絶対的』にたいしては、『相対的』ということになる。もっといえば、住民みんなで利用方法を決めてはじめて、その土地を利用できる、つまりその段階で土地所有権が生まれるといえる。つまり、欧米なみの『計画なければ開発なし』という『建築不自由』を原則とした所有権に変わるわけである。
本来の都市計画を無視してきた日本では、建築不自由の原則といえば、『損するのではないか』という誤解をあたえるおそれがある。しかし、これまで述べてきたように、建築の自由、言葉をかえれば、緩い規制を緩めに緩めて何を建ててもいいという原則をとってきたために、住宅地に中高層ビルが建ち、地価の高騰を繰り返し、住民は追い出されるという構造ができてしまった。」
