こよなく "死刑の基準―「永山裁判」が遺..." 2025年9月20日

こよなく
@koyonaku
2025年9月20日
死刑の基準―「永山裁判」が遺したもの
ページを捲る指が止まらなかった。 死刑制度と裁判員裁判があるこの国で、私たちは何を基準にして人を裁くのか、男性4人を射殺し一度は無期懲役判決を受けるも最高裁から差戻を経て死刑となった永山裁判を通じて考えることになる。 最高裁の差戻判決で語られた、所謂「永山判決」は他の事件でも考慮される一般的な要素であったのに、死刑にゴーサインを出せる根拠として記憶されていく。しかし著者は一人ひとりの被告人の内面に深く向き合い、被告人の過去、現在、未来を鑑みる必要があり、「人を処刑する画一的な基準はありえない」と結ぶ。 読み終わってすぐに死刑制度に対する現在の国民の賛否の割合を調べた。今も死刑賛成派が8割らしい。自分は可能性を奪ってはいけないのではないかって思うし、死刑存置であっても筆者が主張するように画一的な基準で裁くべきではないと思ってる、基準から零れたモノを掬って判断しなければならないのではないかと、それが人を人が裁くことなんじゃないかな。 p.306「最高検察庁は、このままでは被害者が一人だと死刑にできなくなるおそれがあると危惧を抱き、被害者が一人で、高裁で死刑が無期に減刑された事件を五件、連続で上告した。」 ってなんだこれ、検察はどうしても死刑にしたいのか。免罪事件もあったし、死人に口なしだもんね、と邪推が捗ります。
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