deepend "シカゴ育ち" 2025年9月22日

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2025年9月22日
シカゴ育ち
シカゴ育ち
ステュアート・ダイベック,
柴田元幸
シカゴの街を舞台とした連作短編集である「シカゴ育ち」。 この中に収録されている「冬のショパン」がとにかく美しくて大好き。繰り返し何度も読み返したくなる短編に出会うのは稀なので、読み終えた時に興奮してしまった。個人的に「完璧な短編」だと思う作品のひとつ。 主人公は、<書き取り>が苦手で落第している少年で、戦争で父親を亡くし、兄弟もおらず、母親1人に育てられている。 彼の母親は「丁寧で正しい言葉遣い」をするよう厳しく主人公を指導し、とりわけ人種差別的な言葉を決して許さない。 初めてこの作品を読んだ時、主人公の母親が言葉遣いにうるさいのはこの短編を彩るひとつの要素にしか思っていなかったけど、ついさっき、この文章を書く前に読み直してみたら、ちゃんとそこには理由があったのだということに気付いてまた泣きそうになった。(私の解釈が正しいのかは分からないけど) その「理由」であり、私がこの短編の中で最も好きなのが、主人公の父親が戦死する直前に戦場から妻に書き送った手紙だ。 父親が書いた短い手紙には、戦場での砲撃による恐怖、敵国への憎悪、その憎悪に自分自身が飲み込まれることへの恐怖が綴られている。 "(略)しばらくのあいだは、憎しみと怒りが支えになってくれて、怖さで発狂したりもせずに済む。でも、そうやって自分が憎むのを許し、憎しみを信用するようになると、もう駄目だ。他に何が起ころうと、人間もうおしまいだよ。ねえイーヴ、僕たちの生活を僕は愛している。君とマイケルのもとに帰りたいと思う、できるかぎり、去ったときの僕と変わらないままで" ――スチュアート・ダイベック、柴田元幸訳(2003) 白水Uブックス 父親が戦場の残酷さによってその人格を変えようが変えまいが、彼は結局生きて家族の元へ帰ることはなかった。 主人公の母が、夫の死によってどれだけ傷付いたのかということは、作品の中で繰り返し描かれる。彼女は、自分の夫が死ぬ間際まで戦っていた「敵国(別人種)への憎悪」を強く思い、自分の息子や周りが人種差別的な言葉を使うのを禁じたのだと思う。 明るいとはいえない家庭で育った主人公が、放浪者である祖父のジャ=ジャと、天井から伝わる大家さんの娘が弾くピアノの音によって守られていたような短い期間が、私には綺麗な宝物のように思える。 自分の傍に一瞬いただけの人がかけてくれた言葉や音楽の記憶。その記憶が主人公の生活を彩ったり、思考させたりしている様子が美しい。 この短編のラストは、大家さんの娘が弾くピアノの音が聞こえなくなった後の描写が、これでもかというほど切なく美しい文章で畳みかけるように続く。 そのラストの文章で胸を締め付けられ、打ちのめされながらこの短編を読み終えるのが、本当に好きだ。
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