DN/HP "みちのくの人形たち改版" 2025年9月28日

DN/HP
DN/HP
@DN_HP
2025年9月28日
みちのくの人形たち改版
例によってバッグに読みかけの本が入っていなかったある日の午後、移動中に読む本を買おうと駅までの道のりを少し遠回りしてブックオフに寄った。 家に帰れば栞を挟んだ本が待っているはずなので、これから1,2編読み終われそうな短編集がいいな、と急ぎ目で棚を眺めて目についた深沢七郎の短編集を抜く。パラパラと捲ってみると、一編の頁数も良い感じぽい、とそのまま購入。¥110。 空いていた各駅停車で、ドア脇に寄りかかって表題作から読みはじめる。冒頭の作者と思える語り手が出稼ぎ労働者の訪問を受ける場面を読んで、私小説かそれに近い感じか、なるほど、良いですねと思う。その後、語り手は男に誘われ、偶然も重なり彼の郷里に咲く花を見るためにその土地を訪れることになる。10時間の文明的なドライヴから山奥の村へ。その村で感じる違和感、差し込まれてくる不穏な空気。あ、これ、そういうやつなの、と思い少し背筋が冷える。準備が出来ていなかった。 訪れた村で感じる違和感や不穏な空気は、男の先祖の業とその村に残る因襲、一応の現実に回収されていくのだけど、その後村を去る時の気付きと光景は、現実か幻想か判断が出来ない、と思える、思ってみたい“オチない”話の終わり。最後の数頁はホームで立ち読みしながら改めて震えた。とても怖い話じゃないですか。油断していた。 本当に“怖い”のは人間というか現実の社会、習慣とも言えるけれど、それでは説明出来ない怖さもある。どちらとも取れる、というかどちらも、理解出来ることも出来ないことも、ある。というのは今の読みたい怖い、というか世界の話だし、そこにも実はリアリティがあるのでは、と思ったりもした。 小山田浩子さん短編、「庭」をはじめて読んだときも、最後にこれってこういう話、世界だったのか、と驚いたけれど、この短編で感じた驚きと怖さも、それに近いものがあった気がする。書かれる物語と同時にそれを読む現実でも日常から幻想に放り込まれる感じ。 あらすじというか、ある程度の情報を入れてから読み始める本がほとんどだけれど、たまにタイミングで訪れるこんな読書には、魅力的な怖さがある、と思ったのでした。
みちのくの人形たち改版
読書のSNS&記録アプリ
hero-image
詳しく見る
©fuzkue 2025, All rights reserved