DN/HP "偶然の聖地" 2025年10月1日

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2025年10月1日
偶然の聖地
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宮内悠介
文庫化されたくらいのタイミングで岸本佐知子さんが紹介されていて気になっていた一冊を2年後に手に取る。『紙の民』を読んだ流れで今かな、と思ったのだけど、これは書かれ方も書かれたものとしても実は『長い一日』とも近いのでは、と思う。 「そのつどぼくが考えていることや、体験したこと、読んだものなどがそのまま地層のように出現する」エッセイと小説の中間ような連載は、結果的に「小説にほかならなかった」と後書き的な文章に書かれていたけれど、本文の上下につけられる大量の注釈を読むと、やはりエッセイとしても読める気もしてくる。小説かエッセイか、というのは書き手の自己申告だったりするし、どう読むかも読み手が決めれば良いことだと思うのだけど、その間を揺れ動くように書かれたもの、あるいはそんなふうに読めるものに最近は魅力を感じている気がする。 はじまりからわりと飛ばした設定の物語でも、だからこそ当然それは作家の経験と繋がっていたり、不必要に思えるようなネタが実際に不必要だったり、でもそれを書いておきたい心持ちだったりが読めるのはやはりエッセイぽい。小説を読むときには作家がなにを考えて書いているのかみたいなことを想像したりもするから、小説として読めばそれはネタバレとも言えるのだけど、この“小説”にはそれもあっている気がするし、頻繁に本文と注釈を行き来するリズムは物語もグルーヴさせるような気もして楽しい。「物語の感動というか、こんなものを書いちゃう感動」というのは岸本さんの言だけど、物語と同等にこんなものが読める面白さ、つまり本を読むこと自体の面白さがここにもありました。やっぱりタイミングって重要。 この注釈を大量につけることを「『なんとなくクリスタル』方式」と言っていて、うん…となんとなく納得出来ない気持ちになったので、立ち読みで確認したところ、あっちは章の終わりに纏めるスタイルだったので、デザイン的にもこっちの方がカッコいいしこれはまた別のスタイルなのだ、と思っておくことにしました。実際読み心地は全然違うと思うし。
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