
それぞれのカルピス
@tbttmy
2025年10月3日

フローズン・フィルム・フレームズ: 静止した映画 (フォト・リーヴル 1)
ジョナス・メカス,
フォトプラネット,
Jonas Mekas,
木下哲夫
読み終わった
一九七二年
決断するときにはよく気をつけなければいけない。わたしは意地っ張りすぎるから。
わたしが一番うまくやれるのは、成り行きでそうなり、向こうからわたしにしてくれと呼びかけてくるもの、そういうときには大切な判断はすでに運命が下しているのだ。
わたしが下す日々の細々とした決断はたいてい誤っている。それはわたしが判断しているからだ。大きな判断を間違わないのは、自分で決めないから。p28
しかし、どうしても撮らざるをえない瞬間やイメージに出会うと、それには逆らえないんです。意識としてはやりたくないのですけれども(笑)。私は目の前に撮らざるをえないものがあるから、撮るだけです。哲学的な理念に裏付けられているわけではない。つまり、私はいつも能動的に映画を創造(create)しているわけではなく、単に映画をつくっているfilmmaker なんです。私はクリエイターではないし、「創造」という概念も嫌いです。さらに言えば、映画を「つくる」のですらない。私はfilmerなんです。確かに撮影したフィルムを編集して映画と呼ばれるものにするときは、filmmakerですが、いつも私が最初にやっているのは、ただfilmingしているだけです。もちろんそこから映画が生まれることもありますが、生まれない場合もある。最初から映画のアイディアやプロットがあるわけではありません。私は映画をつくろうとしているのではなく、人生を通じてただただ filmingしているだけなのです。p54
帯広では長芋の畑を見て、芋畑を見ると、もう一つ思い出すことがあります。ジャガイモ畑というのは人の命を救う場所でもあるのです。このことは以前詩にも書いたことがあるのですが、子供のころ、ドイツの兵隊が家にやってきて、父を尋問し始めた。私は窓から飛び降りて、ジャガイモ畑の畦道に隠れました。そのときのジャガイモの白い花を今でも鮮やかに思い出すことができます。p67
マイナーな文化は、周囲からつねに抑圧され続けているために、どうしても自分を守ろうとして縮こまり、外からの力を遮断し、外との接触を絶とうとする。そうすると、確かにその閉じた環境の中で独自性は保てるけれども、タイムカプセルの中にいるようなもので、外部との交流ができなくなってしまう。しかし、境界を取り払って自分を開いてしまうと、外部に飲み込まれてあっさりつぶされてしまう危険性もある。とても難しい状況にあると思います。
私はリトアニアで生まれてアメリカに渡り、セバスチャンはアメリカで生まれ育ったわけですが、そういう具体的な地名だけがルーツではない。もっと普遍的なルーツもあるはずだ、とエジプトで考えました。私はよく「あなたの故郷はどこか」と聞かれますが、最近はリトアニアでもないし、ニューヨークでもない、「私の故郷は映画だ」と答えるんです。p84