
DN/HP
@DN_HP
2025年10月4日

「好きな一枚のレコードなり、ひとつの音楽を語ることは、即ち自分の人生を物語ることにもなる。」
たしかに。
買ったタイミングや場所も忘れてしまったし、執筆者をみて(赤塚不二夫やタモリも書いている)話のネタに、なんて思いながらわりと適当に買った気がする81年発行のムック本。たしかその日の帰りの電車で読んだはずの、数人目に登場する浅川マキのビリー・ホリデイと「ヴァイヴの男」に関する文章が素晴らしかった。特別な、人生の物語だった。そう思ったところで満足して例によって積んでしまっていた。
阿部薫の音源を久しぶりに聴いた後に、その文章をまた読みたくなってもう一度手に取ってみる。浅川マキの文章は最初の印象通り何度読んでも素晴らしかった、やっぱり特別だとも思った。しかし、他のページもパラパラとめくっていくと、そこには同じように人生と一枚のジャズ・レコードが私の話として語られる特別な文章が幾つも載っていたのだった。
親に嘘をついて深夜に通う東京駅八重洲口のジャズ喫茶。高校の帰り道に寄る新宿ピットイン、〈60年代後半・新宿・ジャズ〉のキーワード。友人に借りた新車のオートバイで向かった箱根の展望台でウォークマンで聴いたピアノトリオ。そんな青春時代と音楽、JAZZを重ね合わせたような文章たちに特に感動した。わたしはそういう、自分にもあったはずの青春と音楽の話が大好きなのだ。
適当に買ってしまったし、ディスクガイドとしても“使える”かな、みたいな少しいやらしい考えもあったけれど、これはジャズ・レコードに関する、ジャズ・レコードを介した私の話、エッセイのアンソロジー、しかも最高の一冊だった。まだ読み切ってないけれど。
本の下に写っているのはわたしの「私の好きな一枚のジャズ・レコード」。この一枚は買った場所もタイミングも覚えているし多少のエピソードもあるけれど、まだ「自分の人生を物語る」ような文章は書けない気がするのが残念なのだけど。
ここで書かれるサブスクなんて想像も出来なかったであろう時代の人生たちのなかで知ったレコードは、きっと、街に出てレコード屋で探して手に入れて聴く、という行為が似合うし、物語というのはそうやって生まれるような気もする。とは思いつつも、エンヤ・レコード(好き)のファウンダーのひとりの書いた文章を読んで、すぐにサブスクで検索してしまった『ラメント・フォー・ブッカー・アービン』を聴きながら、これがハード・バップの最良の演奏か、などと感動しているのだった。そういうところだな、とは思う。

