russnaction
@russnaction
2025年10月10日

内田ミチル『赤いベスト』読了
認知症で迷子になった(失踪した)母の不在と喪失に思いを馳せながら、地域コミュニティでの人間関係を描く。
新しさというより、完成度での選出だと感じた。前年の新潮も同じような選ばれ方だったと感じていたので。
町内のウォーキングコミュニティを通して数多い人間とその関係性を簡潔に示した後、虫の知らせでも幽霊でもない不穏な何かとしてご近所に広まる赤いベストの女の噂。具材を詰め込まれた弁当箱のような圧迫や閉塞がある高齢者の地域社会で話題になるソレが、抵抗感を伴いつつも受け入れられるのは、語り手である私の母の不在との絶妙なバランスを保ちながら、不必要にも思える人間関係の周縁や、私の日常に対する感覚というものが、あまりにも丁寧に書かれるからだろう。母の不在に対して、日常生活の中で特に意味もなく「ただそこに在るもの」を見落とさず徹底的に書くという、在と不在の差異のようなものが、そのどちらでもない「赤いベスト」の怪奇を際立たせる。
自らも高齢者に属する「私」の、包括支援センターの担当の女に対して平気で嘘を吐く様や、作中に通底する怪奇のような感覚は、今村夏子を想起させるが、日常の描写に根差すリアリティやベタベタの広島弁が、幻想世界への安易な接触をさせない。その代わり、私は頭の中で突拍子もない想像を繰り広げる。強いて言うなら、死んだ弟の家で見つかった母の本物の赤いベストを着て、母が失踪した方向と思われる山へ出かける場面が現実と想像の境目を思わせるが、ご近所さんたちの証言で現実と裏付けられる。何より、山というなんとなく死を連想させる場所への、あらゆる文脈を背負った赤いベストを着用しての旅という、観念的な物語的の格好の餌食となりそうな場面を、怪我をして帰ってくるだけで終わらせるのは、あくまでも日常や人間関係の現実を書こうとする意思を強く感じた。
最後の場面では、語り手がろくな印象を与えていなかった包括支援センターの女(辞職済み)と、半ば勝手に忍び込んで働いている憧れの職場で出会い、希望のような印象を残して、物語は終わる。高齢者の地域社会で不在の母を思い続ける語り手にとって、嘘で塗り固めた自分しか知らず、実際の社会的人間関係とは無縁の彼女だからこそ、あれほど清々しい印象を受けるのだろう。そもそも語り手は地の文で、他の登場人物と同様に誰かの会話を通して明かされていた彼女の名前を用いず、「女」としか表現していないのだ。