
あんどん書房
@andn
2025年10月21日
わたしたちの怪獣
久永実木彦
読み終わった
以前に読書会で紹介されていたので知った気がする。で、たまたま図書館で見かけたので借りたのだ。ジャンル的にはSF短編集? 四作収録されている。
表題作の「わたしたちの怪獣」。「わたし」が家族に隠れて免許を取得したその日、妹が父を殺し、舞浜には怪獣が出現する。「わたし」は父の古いカローラに乗り、怪獣騒動に乗じて父の遺体を遺棄しにいく……という展開。
そもそもなぜ父が殺されたのか、という理由が、父が職場でふざけた撮った写真がSNSで炎上し、子どもたちは虐められ、母は出ていき、父はストレスから子どもたちに暴力を振るうようになったから……というのがめちゃくちゃ現代的で救いがない。怖あ。
暴れ回る怪獣に対しては当然自衛隊が出動して、その戦況のようなものが合間に挟まれているのだが、ここは読んでてめっちゃ『シン・ゴジラ』だなと思う。ちなみに怪獣には脅威の自己再生能力と、触れたものを消滅させてしまうシャボン玉を放出する能力があるので、自衛隊も手が出ない。
この怪獣は死んだ父親なのではないかという匂わせがあり、いや、怪獣は私たちの心の中に……みたいなところで「あ〜」となるのだが、最終的にあんまり関係なさそうだぞという感じで終わるのが良かった。
個人的にこういう話は、実際はどうだったのか(怪獣は私たちの何かしらが具現化していたのか)よりも、作者が何を書きたかったのかが気になる。本作に関して言えば、やはりここなのだと思う。
“生きるということは、進むということなのだから。それが、正しい方向であればいいと思う。わたしもあゆむも、ずいぶんおかしなところへ行ってしまった。いまは引き返して、もう一度前に進む準備をしている。”
(P70)
道を誤っても引き返せるということ。いや、現実世界であればもうかなり絶望的な状況ということになってしまうのだが、だからこその怪獣なのかもしれない。むしろ怪獣は社会の方だよな。ありきたりな言い方だけど。
続いて二作目「ぴぴぴ・ぴぴっぴ」。某シュールギャグ系漫画を思わせるタイトルだが、おそらく特に関係はない。
小型タイムマシンが発明された社会。主人公は「時間局」に勤務し、事故などで死亡する運命にあった人々を助ける「声かけ」の仕事をしている。
山奥での寮暮らしに退屈している主人公の唯一の楽しみは、動画投稿サイト〈パイプス〉に投稿されるとあるユーザーの動画である。事故が「声かけ」により改変される以前の様子を撮影するその動画には、様々な人物の死亡シーンが収められており……。
この時点である程度想像されるオチがあると思うが、実際はそんな綺麗なものではなく、不条理とまではいかないまでもモヤっとする感じだった。「ぼく」と小栗は表裏一体だったのだろうか。
三作目「夜の安らぎ」。飛行機事故で両親を失った少女・楓は伯父伯母の家に居候をしている。学校では虐められ、バイト先ではモラハラ気味の店長に小言を言われ、そして従姉妹の未佳に対しては報われない恋を抱いている。
そんな現実に苦しむ楓のもとに、どう見ても吸血鬼としか思えない男が現れる。楓は自分を吸血鬼にして欲しいと懇願するが……。
個人的にはこの作品がいちばんまとまりの良さを感じた。終わり方についてはそうなっちゃったかぁと思うところもあるけれど。
最後はこれまたクセの強い「『アタック・オブ・ザ・キラー・トマト』を観ながら」。とある出来事で手に怪我を負い、逃げるように小さな映画館に入った「ぼく」。そこでは伝説的“Z級”映画の「アタック・オブ・キラー・トマト」が上映されようとしていた。映写機のトラブルで客の大半が帰った後も残っていた「ぼく」と個性的な面々たちは、外で大きな爆発音を聞き、その後に発令されたJアラートに従い映画館に立て篭もる。外では人々の頭が2倍に膨らみ「ゾンビ」と化してしまう現象が発生していたのだった——。
ゾンビものの王道的展開をゆきつつ、表題作と一瞬繋がったところはテンション上がった(同じ世界線なのかは不明だが)。映画のタイトルがすごい出てくるのだけどほぼ分からないので、知っていたらもっと楽しめるだろう。恐竜神父は冒頭30秒だけ見たことあるけど……。
全編通してのテーマは割とはっきりしていて、現実と非現実ということなんだろう。登場人物たちは苦しい現実に置かれていて、そんな時、目の前に非現実への扉が開く。そこで彼らはどのような行動を取るのか。
“いつだつて現実も、世界も、わたしを拒絶してきたじゃん……普通に生きられないようにしてきたじゃん! だから、幻想の世界に行くしかなかったの”
(P190)
「夜の安らぎ」で主人公が叫ぶ言葉が強く印象に残った。
本文書体:リュウミン
装画:鈴木康士
装幀:岩郷重力+WONDER WORKZ。


