
reina
@dawn_39
2025年10月12日

読み終わった
何かを書いたり作ったりするとき、自分に必要なものを作れば自ずとよいものになるのだと思った🌿
仕事に対する愛はないが頭はいい、そんな人々がつくり出す社会は「機能は完璧だけど、本質をまったく欠いた世界」、と表現したミヒャエルエンデは凄い。モモを読み返したい。
p118
世の中でいちばん難しいのは、問題をつくることです。万有引力の法則におけるニュートンの林檎のように、問題の凄いところは、出来た瞬間その先に答えがあること。それをつくり出すのは、本当に難しいことです。
p149
いずれにしても大事なのは、自分がしっくりこないことや疑問に思うことを素通りさせずに、つねに意識しつづけること。自分を大事にすること、自分らしさを模索しつづけること
「やめずにつづけていれば、その時にはまだわからなくても、五年とか十年とか経った時に形になるのです」
p151
魅力的な物事に共通するなんらかの法則を見出そうとする時、彼がとる手法は「好きだけど理由がわからないものを、いくつか並べてみる」というもの。慶應大学の講義ではこの手法を、要素還元という名前で紹介していた。
同じように惹かれるものを並べ、そこにどんな要素が含まれているのか、自分の中の何が感応しているのかを丁寧に探ってゆく作業だ。
自分が感じた、言葉にできない魅力や違和感について「これはいったい何だろう?」と掘り下げる
p168
ミヒャエル・エンデは、仕事に対する愛はないが頭はいい、
そんな人々がつくり出す社会を「機能は完璧だけど、本質をまったく欠いた世界」という言葉で表現した。
このパン屋にはその逆のたぐいの仕事があるように思う。彼らのつくるパンはとても人間的で、エンデが語ろうとしている「本質的なもの」が、みっしりと詰まっている気がしてならない。
p176
パンは手段であって、気持ちよさだとかやすらぎだとか、平和的なことを売っていく。売っていくというか、パンを通じていろんなつながりを持ちたいというのが、基本にあるんだと思います
(矛盾を感じさせない仕事)
p179
「癒されたい」とか「癒される」といった言葉を頻繁に聞くようになったが、言葉の裏側に貼り付いている気持ちは、「満たされたい」ではないかと僕は思う。CMにしても雑誌の記事にしても、うたい文句は機知に富んで、素敵で、期待させるものが多い。しかし、ふくらんだその心を満たす内実までも兼ね備えている仕事は、残念ながらそう多くない。
p205
この夜、子供が見つけ出すのはたぶん単なる場所ではなく、”どういう場所を自分は心地よく感じ、安心できるのか”という、価値観のゼロ地点だろう。その基準が明確にあれば、人生のあらゆる場面でそれは機能するにちがいない。将来、家を建てる場所を選ぶ時にも、人間関係のただ中においても。
自分がどんな場所を気持ちいいと思うか。その判断力がなかったら、気持ちのいい場所を生み出すことなどできない
p208
自分がつくっているものは、自分に必要だからつくるんです
p225
自分が欲しいものをつくるという思想
p229
「どんなことでも、意図をもちすぎてやるべきでないと思いますね。ものごとには、その価値が、まさに意図のないところにある、というケースもあるわけですから。なぜなら価値が、そのものごと自身の中にあるからです。
人生には、それ自体に価値のあるものが、とてもたくさんあります。経験というものは、何か他のことに役立つから重要なのではなくて、たんに存在しているというだけで重要なんです。
(中略)木を植えるのは、リンゴが欲しいからというだけではない。ただ美しいからという理由だけで植えることもある」
p268
自宅に畑があり、近隣であらゆる食材が手に入るとしたら、スーパーには通わない。少なくとも依存的にはならないだろう。
しかし私たちは通う。自給自足する手段を持っていないからだ。
ワーカーが能力を売っているというより、会社が「仕事を売って」いるのである。
ところで、私たちが会社から仕事を買っているとしたら、そこで支払っている対価はなんだろう。
それは「時間」である。そして時間とは、私たちの「いのち」そのものである。
p272
■+■= 10
4+6=■
前者は、正解は一つしかないという教育。後者は、正解は無数にあるという教育。正解がどこかに既にあるという教育と、正解はあなたの中でこれから生まれるという教育の違いが、ここにある。成長のプロセスにおいて幾度も与えられたこのような教育や社会経験が、一人一人のセルフエスティーム(自尊感情・自己肯定感情)の育みを妨げてしまうのだろう。
かと言って近代教育や、近代と名のつくあらゆるものに反意を述べたいわけではない。
そんな暇があったら、まずは手元にある仕事のやり方・在り方を自分で変えてゆきたい。
自分の仕事に対するオーナーシップを、常に自分自身が持っていること。その仕事を通じて、学びを拓きつづけていくこと。
p312
たとえば一枚の絵を描いてゆく時、描き込んでは少し離れて絵を眺め「・・・うーん」と唸る。自分の内面に生まれる小さな違和感を手がかりに、次の絵筆を重ねる。仕事はこのくり返しの中で進む。そして自分の中にもう違和感がないことに気づいた時に、「ん。できた!」となる。
どんな仕事においてもこの力はかせないものだろう。
それがなかったら、自分の仕事に対する判断は常に外から与えられるものに依存してしまう