
jirowcrew
@jirowcrew
2025年11月3日
技術とは何だろうか 三つの講演
マルティン・ハイデガー,
森一郎
かつて読んだ
「納めるはたらきは、注ぎ出すはたらきをしてこそ、ありのままの本来的なあり方をとるのです。瓶から注ぎ出すはたらきとは、捧げるはたらきです。注がれたものを捧げるはたらきにおいて本質を発揮しているのが、容器の納めるはたらきなのです。納めるはたらきは、納めるはたらきをするものとしての空洞を必要とします。納めるはたらきをする空洞の本質は、捧げるはたらきに集約されています。しかし、捧げるはたらきは、たんに汲み出すはたらきよりも豊かです。」
物を、はたらきという観点から眺めること。
はたらきをはたらかすために、空洞を扱うこと。
空洞を扱うために、技術を用いること。
直接の接触を避けるために、道具を介すること。
そしてその製作に技術を用いること。
つまり技術とは、
至高者のために捧げられるべき
贈与であるということ。
人間は、ときにその余剰物を、
偶然の「おこぼれ」、つまり恵みとして頂く。
技術とは、
本来至高者のために磨かれるべき能力と
言えるのではないか。
この営みこそ、「捧げるはたらき」
または「祈り」の原点ではないか。
「宗教において真に問題なのは宗教的態度によって得られる地上の益なのだが、この益は「本質的に副産物であるような状態」(ジョン・エルスター)なのだ。それは、来世にたいするわれわれの信仰の、意図しなかった結果としてしか、生み出されないのである。」
(『バタイユ エコノミーと贈与』 佐々木雄大 p.162)
捧げるために、注ぐこと。
それは「一見して無意味」である必要がある。
なぜならその行為は、
人間の企図(手段ー目的の関係性)からは
超越したところで為されることであるゆえに。