
ばるーん
@ballo____on
2025年11月13日

クイック・ジャパン vol.173
7ORDER,
クイック・ジャパン編集部
読み終わった
町屋良平「発光する、ら」第二回「個性恐怖症」は、冒頭にタイトルの「発光」につながる言葉がでてくる。公式のファンダムネームに取って代わるファンの名称の由来が、家庭の欠損とかなのは、町屋さん特有のずらされてる感じ。協調性のなさとかも、反健やかさ。
現実にあるはずなのに表には出さない、出せないから、ファンであってもなくても、まるで「ない」みたいに見られる。これはアイドルに限らず。じゃあこういう(誰もに共通して移り変わりする、ある種の欠損が取り沙汰される、反健やかな)小説(フィクション)が何をしているかって、やっぱり現実を虚構が担保してるってことなんだろうか。実際がどうあれ、人間の多面性が示されれば演者はやりやすかったりするんだろうか? 一部嫌がるファンはいんのかな。小説=著者みたいなかったるい伝統みたいなのって、アイドルの楽曲にはあんのかな。
全然関係ないけど、
アリキルは薄幸というよりなんか……
ひてくれてるっていうよりなんか……
我が強いっていうよりなんか……
空気が読めないっていうよりなんか……
の箇所は、webnokusoyaroさんの「どうせ盗まれるからチャリ買わない」の歌詞を思い出した。
本を得て チャリはない
人類が払う 知識の代償
人類?というか俺が
知識?というか漫画
工業哀歌バレーボーイズ
4冊買っただけなのに!?
小説の筋的には、主にシンイチが特権的に語られる回。美容、食事制限、我の強いシンイチがキルトと揉めたり、アリスには自分の「個性」が避けられているという認識が語られたり、レンの声が出なくなってみんなで揉める。
揉めてる最中に、アリスが「延命」という言葉を使う。めっちゃ町屋的だ。しかも地の文の。
前回もそうだけど、歌のタイトルが意味深。
今回だと、小川哲さんとの対談での、自分から他者、他者から自分、他者から他者へ暴力の質の変換を連想したり、アイドル繋がりで行くと、観る身体、演じる身体、裏方、みたいな三つのレイヤーのようにも思えた。
シンイチの認識が語られるところ
人間性や内面のよさこそが天から与えられた才能だ。アイドルはそれを体現するみたいにキラキラして不特定多数にモテる。たくさんの愛を受け取って、輝いて元気になれる体。その体で愛をお返しする。だが愛されることに慣れていない、安心できない人間にはそれが難しい。
それでも唯一音楽が鳴っている時間だけは安心できる、平等な自己表現の場だって、音楽に救われたからこそシンイチは盲信していた。
本当はわかっていた。キルトは人一倍個人練習しているから太らない。シンイチは個性にかまけて肝心の技術がついていかない。それでもキルトよりは歌もダンスも実力は大分上なのだが。
だがボーカリストとしてだけではなく、明確に自分は避けられていた。正しくは、自分の「個性」が。
アリスの没個性的な声質と音域の広さは楽曲の骨格を支えている。とりわけ、シンイチのパートに透明感の強いファルセットを合わせるときに安定感と華が両立した。
町屋作品の登場人物の自己分析的な造形が好きだ。
資本主義や国家の解体された七十年後では「家族」は現在ほど大きな役割を果たさず、AI技術や福祉の助成によって十代までの両親の有無が子どもの愛着形成に与える影響はかなり小さくなっている。ほんらいアイドル性に大きくかかわるはずの愛着形成が、しかし双子に限ってはそれほど大きく関係している印象はなく、
冒頭近くのこの部分に、この小説の根幹がある気がした。アイドル性と愛着形成…いろんなものに置き換え可能に読めて、これまでの作品にも通づるし、SFである意義も見えてくる。切断された時間の感じが。めっちゃ面白い回だしもっと書けるとも思うけど、(もう連載が終わった)連載小説一回一回に感想する意味が書いててわからなくなる。全部読んでからの方がよっぽど誠実だろな〜という感じ。