

ばるーん
@ballo____on
- 2026年1月8日
YABUNONAKA-ヤブノナカー金原ひとみ読み終わった全編とんでもない覚悟で書かれていた。 長岡は自分の主義主張が非現実だってわかるけど!けど…!みたいな人だと思った。前半の人物像が、見事に逸脱していく過程で、だんだん自分の正しさを、どこかで絶対的に「正しい」と信じきってる感が露呈していく。 というか、長岡だけじゃないけど、前半部分にあった価値判断の基準があれば己を否応なく疑ってしまえそうな気もするのに!とか思うけど、それはずらされる。各人物にあるずらしが小説としての面白さになっていた。 この小説に求めることじゃないけど、本当の意味でのディスコミュニケーションがなさすぎる。わかりあえないことがわかりあえすぎている。主張のある/なしをわかりあえすぎている。みんな対話が不自然なぐらい上手すぎる。 - 2026年1月8日
トランスジェンダー入門周司あきら,高井ゆと里読み終わった - 2026年1月8日
- 2026年1月7日
罪と罰 中 (岩波文庫)ドストエフスキー,江川卓読み始めた上巻に複数あるお金を手放すシーン(とその後)がどれも印象的で、とりわけ上巻終盤なんかは、お金を渡したこと(だけ)が直接の原因ではないにしろ、「力強い生命感」で満たされているし、少女から名前を聞かれて楽しくなって(いい気になって)いるし、しまいには祈りを頼んだりする。終始突拍子もないことをし続けるし、それなりの論理はあるのはわかるけど、ここで祈りを頼むってなんか、調子に乗っちゃってついしでかしたことなんじゃないかとか思ったりする。中巻も楽しみ。 - 2026年1月7日
- 2026年1月3日
フラジャイル: 佐藤りえ歌集佐藤りえ読み始めためっちゃ好き。「フラグメンツ」の中でも「夜」繋がりで気になった歌↓ この夜がこの世の中にあることをわたしに知らせるケトルが鳴るよ 夜の底をひっかいたならにじむだろう押しつぶされていたフラグメンツ 真夜中の床にちらばるこなぐすり上目づかいの猫が跨いで キラキラに撃たれてやばい 終電で美しが丘に帰れなくなる あの星はどんな願いの叶う星天体の死を知らせるひかり - 2026年1月1日
- 2026年1月1日
- 2025年12月29日
おもろい以外いらんねん大前粟生読み終わった創作一般、自分の「おもろ」くなさを直視せざるを得ずこわいのはそりゃそうで、それでいうと漫才のシーンはめちゃくちゃこわかったと思う。ヒヤヒヤしながら読んだ。小説が「おもろい」って難しい! トリオ漫才も見てるこっちまで難しいよな… - 2025年12月28日
- 2025年12月28日
- 2025年12月27日
読み終わった何故かぐんぐん読まされてしまって、(『世界泥棒』を読書した経験から?)ふと振り返った時、いろいろ取りこぼしてるんだけど、その辿った軌跡がきらきら光っているような、もう思い出せない読者(私)の創造性の発露の跡かもしれない。それは大滝さんの解説にもあるように「『その場で考える』という即興性」を読者の側にも要請され生まれた結果の未知の私かもしれず、これを持ち寄って読書し絶えず交換し変容する身体が私。 作中でなされる(解決のない)議論が「未知数に対して方程式の数が足りていない連立方程式」とする解説に励まされた。この議論について語る(というよりは、この議論を応用する?)には、その場の個別の方程式が必要で、だからみんな物語るし、そこには必然的に「私」と「私'」の問題があって、書き手-読み手にも交換される。未知数を未知数のまま、小説で議論するのがすごいと思ったな〜。 町屋さんの「小説の死後〜」にある「いわば小説の制作途中をひたすら邁進しつづけるような手応えだ。まるでいままさに書かれている文章みたいに読者が読むそれ。」がまさにで、近道読みたい。 世界を作り出す言葉、文法こそが小説の内容と改行のなさ(書き方)を選択させているとして、小説の最後があんな感じで終わるの、長さもあいまって感動しちゃうな。 - 2025年12月25日
- 2025年12月20日
- 2025年12月20日
- 2025年12月15日
現代詩人論大岡信ちょっと開いた - 2025年12月15日
- 2025年12月13日
ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい大前粟生読み終わった著者の作品はデビュー作を読んだきりで、それは結構面白く読んでいたから、本書には全く違った印象を受けた。とりわけ、優しさとユーモアについて考えた。実生活でも小説でも、優しさは必要だけど面白がられない(というか面白くない?)。それが結構悲しいし傷つく。面白さだけで生きていられたら、世界がこんなになっちゃってるのを、はたと気づいて、もう何にも喋れなくなるし、反省するばっかりで、だんだん面白くなくなるし(表面的に)優しくなる。気安く生きられない。それがまっとうな大人かもしれないけど。 表題作は(強引に)意地悪な読みも可能で(というかいろんな読みの可能性に溢れていて)すごかったし、『コンビニ人間』ぐらい流行ってもいいのに!という気持ち。(映画にもなってるから流行ってるのかな?) 白城が気になるってずっと思ってたら、最後の一文で期待できそうな感じがあった。 『たのしいことに水と気づく』は(比較的)意地悪で、小説についての言葉に溢れていた。(というか全体的に自己言及とか社会に繋がる言葉が多くて、それとの葛藤?を読んだ。デビュー作からの著者なりの認識の変化があったかもしれない。小説への?社会への?読まれることへの?) 『バスタオルの映像』には、とくにコミュニケーションの交通(の不可能性?)のことを思った。(SFみたいに?)めちゃくちゃ交通してしまうと辛いことばっかりなんだけど、どうしてもそれを欲望しちゃう。 演者と観者(一人ひとりの)の認識のズレとか、ウケる場に身を任せて言った発言のネタとそれ以外の部分とか、本音と建前的なこと。書き手と読み手にも交換可能な記述が多く面白い(って何?) 「梅干しでチャーハンを作りたい」的な漫才を見て好きになったコンビが、だんだん「女のことも男と同じように殴るからおれはフェミニストですよ」的なネタをやるようになる、あの悲しさってマジだけどもっと書けるんだろうなって思う。(『おもろい以外〜』はきっとそういうのも含んだお話だよね…?) 劇場でも危うい発言のボケ(もしくはツッコミ)が、ネタがネタだとわかりやすく、かつツッコミで否定しないとボケとして成立させるの難しいんじゃないかと思う。お客さんも「これ、思いきり笑っていいやつ?」って予断してしまって、それがノイズでウケないみたいな現象が実際あるんじゃないか。その塩梅(お客んさが内面化しちゃってる社会)を上手く認識するか、ギミックとかニンでクリアするかしないと、ダメなのかな。こんな時代だらこそユーモアが必須で、それも熟慮の上というか技術とか場(関係性)作りからしていかないと、誰にも何にも伝わんないし、伝わんないのはやっぱり寂しい。 『だいじょうぶのあいさつ』は序盤の今村夏子的な不穏さがあるな、と思ったら、(タイトルから明らかにわかるけど)優しい大前粟生だった。とはいえ、敢えての定型的に書かれてる父が気になる。(でもこれは大前粟生だから?) この作品集を読む上で、絶対大事なワードが「幽霊」(おばけ)だけど、最近の作品とか他にも、見た感じ幽霊的なニュアンスがあるので期待して読んで生きたいと思う。自他をないものに(する/される)を変奏していくのかなー。 - 2025年12月11日
- 2025年12月10日
ノルウェイの森(上)村上春樹読み終わった
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