Aquaporin "失踪の社会学" 2025年11月15日

Aquaporin
@aquaporinase
2025年11月15日
失踪の社会学
失踪の社会学
中森弘樹
面白かった ここで出てきた概念はまた整理したい。 規範から別の規範に移ることの説明として、規範を破壊し尽くした後での回復、規範に押しつぶされた後での回復、規範を遵守した結果としていつのまにかの回復(マゾヒズム、リテラリティ)、第三者的な論理の組み込み(観光客、ネッ友、天然知能)による変化がある気がする。力点の違いがあるだけで、これらは似たプロセスを踏んでいるものも多そうで。 特に気になるのは、社会生活を送りつつも疾走することができるかというところだと思う。 いる、いないの峻別を、移動という便利な程度問題も使わずして、いながらにしていないをどう描くのかに興味があり、一つに、中森さんが自作で本作よりも書かれていた、空間的要素が距離や目線や注意の話が関係しているように思う。そして、それは心理的にも言えるものであり、心理的には演技の話になる。福尾匠が議論し始めたガラスの話はここにあるのだろう。 フィールドワークに留まらずに理論的にも考えられている読み応えのある本。 やはりいること、いないこと、生、死 の微妙な違いを辿っていく必要があることを何度も感じさせられる。 二種類の呼びかけ、二種類の神(赦し、隠し)が登場して、頭がこんがらがっているのでまた整理したい。 最後の第三者の必要性の議論は、ものごとの配置とその変化、ドゥルーズの領土論のように、変化スピードをまず存在論的にかつ形式的に捉えることで、イメージとしてはよくある議論(斎藤環や東浩紀や東畑魁人など)だとは思うが、実例と結びつくことで力があるし、隠す神や赦す神と結びつくことでの説得力がある。
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