
jirowcrew
@jirowcrew
2025年11月19日
中世の覚醒
リチャード・E.ルーベンスタイン,
小沢千重子
ちょっと開いた
「科学は宗教信条との結びつきを奪われ、しだいに技術的で価値から自由なものとなった。一方、宗教への挺身はその自然主義的なよりどころから切り離され、しだいに恣意的な「本能」ないし趣味の問題になりつつあるように思われる。さらに悪いことに、世界の経済力と軍事力が前例のない速度で少数の有力エリートの手に集中するにつれて、信仰も理性も、自己の権力を露骨に拡大強化しようとする勢力の道具と化そうとしている。
(信仰と理性を)結合させるのであって、「融合」させるのではない。なぜなら、私たちが復活させたいと夢見ているのは、信仰と理性のあいだの創造的な緊張であり、偽りのアイデンティティの類ではないからだ。アリストテレス的なコンセンサスを粉砕したことが、科学と宗教の双方を変えてしまった。それと同じように、新しいポストモダンのコンセンサスが創り出されれば、科学と宗教はふたたび変わるに違いない。」
分離、そして各々の発展。
緊張関係を失った両者はどこまでもそれぞれの道を突き進む。そしてしがらみを失ったものは、しがらみがないからこそ、各々が分離した状態で権力に利用されやすくなる。
自由であるということは自由に「させられる」危険性を孕んでいる。意志により始められたと思われたことが実は使役であったということは日常生活でもままある。その境界が曖昧になり、気づかぬままにいるということは、意志の副作用としての近視と快楽という副作用が強く働いている証拠ではないか。
緊張とは、相互監視が伴うということ。その相互監視のうちに互いが放つベクトルの合成を行い推進力とすること。
