
DN/HP
@DN_HP
2025年11月21日

バッド・チリ
ジョー・R.ランズデール
何度目かに集めはじめた寺田克也ジャケの角川ランズデール。二冊目。この小説にはランズデールでも屈指のパンチラインがあるのだ。とりあえずそこだけ読みたいな、とペラペラとめくり始めたけれどみつけられなかったから、結局最初から読み直すことにして二日かけて読了した。再会したパンチラインの最高さも確認しつつ、小説自体もやはり最高だった。
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「おれはくりかえし考えていた。どうしておれや、おれの愛する人間にばかり恐ろしいことが起こるのだろう?おれがいったいなにをしたっていうのか?運命のサイコロを振っているのは誰なんだ?それが誰であれ、今回だけは、おれがサイコロを振ってやる。キング・アーサーの喉元に、おれがそれを投げつけてやるんだ。」
ハップとレナード。ホワイトトラッシュとその親友の「ゲイの黒人」。二人を中心に東テキサスで世界に痛めつけられながらも、なんとかやっていこうと足掻く人たちの物語。
これはある種の「負け犬たちのonce again」ものだけれど、シリーズ化されているということは、負け続けている、未だ勝ったことはない、ということでもあって。人生のように解決しない物語。それでも何度でも、世界を社会を彼らを痛めつけようとしてくる奴らを口汚く罵りながら、お互いに憎まれ口を叩きながら、その隙間に譲れない人生の哲学や信念、あるいは決意を思い口にしながらトラブルに立ち向かっていく。
勿論その言葉があるだけで、思い通りに生きられるほど世界も人生も物語も優しくはないのだけれど、それがあれば何度でも世界に、人生に立ち向かっていくことが、物語を続けていくことが出来るのだ。そんな言葉がわたしの心を打つパンチラインになる。希望にもなる。小説全体、その世界のなかで不意に放たれるそれらに出会うとより響くものがあった。読み直して良かった。しかし、汚い言葉をスピットしながら、要所でパンチラインが出てくる。それってラップ・ミュージックみたいだ。UGKを聴こう。
そんな小説のなかで出会った、興奮して感動もした幾つものパンチラインを集めている。最高の言葉は読むだけで元気が出るし、人生の幾つかの場面で思い出しては力付けて貰ったことだってある。だけど、やっぱり自分だけの言葉も思ったり口にもしたい。世界も人生もこの小説がそうであるようにスッキリ解決することはないけれど、いくら痛めつけられてもそれを思い口にすることで何度でも立ち上がれるような言葉があれば、希望だってある。はず。わたしだけのそれはまだ口にしたことがないけれど、いつかはものに出来ると信じて、今まで手に入れたパンチラインに助けて貰いながら、そんな言葉を探しながらなんとかやっていきたい、いける。そう思ってみたい。というのは、簡単に言えば最高のラインがある面白い小説を読んだら元気が出たよ、という話なんだけど、その最高や面白さの意味を自分なりに言葉にしておきたい。それもやっぱり解決しない人生の希望になる、かもしれない。
今回読み直して改めて気がついたのだけれど、この小説にも人生を自らでコントロールしようとしている女性、わたしの言葉で言うなら「クウィーン」が登場する。DV夫の頭をシャベルで殴り、ライター用のオイルと台所用マッチでで火を付けるタイプの「クウィーン」。彼女の自らのコントロールを他人から取り戻す、受け渡さない生き方は、登場人物たちをメンタル的にもフィジカル的にも救うことになるし、行動自体は過激で過剰だけれど、性別問わず誰しもの指針にもなりえる。わたしの指針、手本にもなるかもしれない。彼女の生き方、活躍を読むとまた元気が出てくる。ランズデールやっぱり最高だぜ、という気持ちにまたなったのだった。


