
はる
@tsukiyo_0429
2025年11月20日

読み終わった
大河ドラマ「べらぼう」で、「愛した女性が亡くなり腐っていく様を目にしながらも、彼女の“美しい姿”を描き続ける喜多川歌麿」というシーンがあり、あまりにもつらくて最高だったのだが、そのシーンで九相図を思い出したので積読棚から引っ張り出してきた。
(歌麿がしていたことは九相図とは真逆だが)
現在では『呪術廻戦』で九相図を知った人も多いかもしれない。
私が初めて知ったのは、河鍋暁斎の展覧会だった。
幽霊・髑髏という流れで見て、かつ、暁斎が九歳の頃に川で拾った生首を写生したというエピソードを知っていたため、最初は暁斎の趣味かと思ってしまった。
後に仏教絵画だと知り、強く印象に残ったのを覚えている。
これまで私は、九相図とは男性出家者のための「性的煩悩(=女性)を退ける修行」に使われるものだと思っていた。
しかし九相図はそれだけではなく、近世初頭では女性が主体的に仏教へ関与する手段としても使われていたことが、この本を読んで分かった。
特に興味深かったのは、九相図が日本に伝わってきた頃のことだ。
九相図の各相を詠んだ詩「九相観詩」が日本に伝わったとき、出家者の悟りのための厳しい修行である「不浄観」から、在家者の共感を得やすい「無常」へと文脈が発展していた。
伝わったそのときから、文学的側面も色濃く結びついていたようだ。
そしてその後、朽ちていく死体を四季の移り変わりと重ねて詠んだ「九想詩」も生まれた。
この「無常観と四季」という組み合わせは、当時の日本人にウケるだろうな……というのが第一に感じたことだった。
九相の変化を四季の移り変わりになぞらえるという趣向は和歌にも取り入れられ、中・近世日本で制作された多くの九相図にも受け継がれているそうだ。
今回嬉しかったのは、河鍋暁斎の九相図について詳しく知ることができた点だ。
河鍋暁斎は私の推し絵師の一人であり、私が初めて九相図と出会ったきっかけでもある。
そんな彼の絵をカラーで見ることができ、また詳細な分析を読むことができて嬉しかった。
また河鍋暁斎の次に挙げられていた山口晃の「九相圖」は、私の中の九相図のイメージを大きく変えるものだった。
描かれているのは間違いなく九相図なのだが、死にゆく馬の胴体がバイクになっている。
やまと絵のような風景の中にバイクと融合した馬が存在している、そのチグハグさが面白かった。
一度生で見てみたい作品だ。
九相図は仏教絵画であるが、この本では文学的側面や説話にも目を向けており、たいへん面白く読むことができた。