ayame
@tsukinofune
2025年11月18日

ペネロピアド 女たちのオデュッセイア (角川文庫)
マーガレット・アトウッド,
鴻巣友季子
読み終わった
「オデュッセイア」の英雄・オデュッセウスが20数年もの冒険を続けた間、彼の留守を守ったとしてその良妻と貞節ぶりが讃えられるペネロペイアはその実どんな女であったのか? 彼女の結婚生活の実態とは? という方面から「オデュッセイア」を女たちの視点から翻案し、古典を語り直したいわゆるリトールドものの作品。
そのなかでもこの作品は語る女の声がペネロペイア1人のものだけでなく、いろんな女の声が多様な形式(遊び歌や舟歌、牧歌、芝居、講義、裁判風など)で再現されていて、それが本筋のペネロペイアの語りとは異なる事実を語るものだから、真実を紐解こうとすると一筋縄ではいかない。
いろんな女の声が響くから、主人公のペネロペイアの語りでさえどこまで本当のものか実は最後まではっきりとは分からないところが個人的に強い引きを持って絶妙な読後感を与えて好き。
なかでも強い存在感を放っていたのはペネロペイアに従っていた12人の女中たちで、古典「オデュッセイア」では彼女たちはオデュッセウスやその息子テレマコスに首吊り処刑を命じられる。
その理由が「主人(オデュッセウス)の留守中に主人の許可なく客人に凌辱されたから」という限りなく理不尽で信じられないもので、こいつ20何年も留守にしていたくせにマジかよと正直ドン引いた。
(しかも客人からの誘いを女中の彼女たちが断る術もないので、なぜ女たちばかりが知恵を働かせて男たちから逃げなければならないんだ神話ってほんとそういうとこ〜〜とちょっとした怒りが湧くなどした)
鴻巣氏もあとがきで言及しているが、女性の被害者ほど語ろうとする口を押さえつけられ処罰されるのは古代から変わらないらしい。
その乙女たちの運命は今作「ペネロピアド」でも変わらないが、なぜ彼女たちは処刑されたのか? ということを後世の人間(私たち)による神話の解釈としてではなく、生身の彼女本人たちの「どうして」という悲鳴と疑念で語らせたのがこの翻案作品の真骨頂のひとつだと思う。
(私たちはついこの12人の少女たちの首吊り処刑を物語の出来事として捉えてしまうけど、それが良しとされ語られてきた背景には実際にそうやって排除されてきた人たちの存在があったはずなので)
主人公のペネロペイアについては、おそらく私がこの12人の処刑をめぐる一連がすごくショックで若干見方が偏っているからなんだけど、あとがきと解説ほどペネロペイアを賞賛することはできなかった。
時代が時代だから今の価値観で神話時代の女性である彼女を語ることはフェアじゃないけど、ペネロペイアだってなんかずるくない!? と思う部分があったので、そんな言うほど乙女たちの気持ちを汲んだ女主人じゃなくない? という感じが今のところ拭えない。(ここはまだあまり自分のなかで腑に落ちていないのと考えが固まっていないので、今後感じ方が変わっていくかも)
ただ、それがこの作品の悪い読後感を与えているということはまったくなく、この作品の女たちは連帯できていないと解説でも述べられていたように、男性優位社会に抗い閉ざしていた口を開いた女が清廉潔白な女でなければならないということはまったくないので、ペネロペイアもまた生々しい1人の女として描かれていたんだなという感想に落ち着いている。
彼女が生前オデュッセウスの資質に惑わされていたと語るように、きっと冥界に落ちた現在のペネロペイアも未だオデュッセウスを自らの夫として完全に切り離して見ることができず、その価値観の支配からまだ逃れられていないんだろうなと、今のところそう読んでいる。
この主人公の生々しさも含めて、語る口を持たなかった女たちが死後語る口を持ち、しかしその語りも風のように音にならないという物語(しかも主人公のペネロペイアと違って女中たちの語りはもっとはるかに現実味に欠けている)が個人的に好きで面白かったので、本編、あとがき、解説すべて込みで読めて本当によかった。
❄️ここからは鏡花も絡めた話⤵︎
被害女性が語る口を持たず、理不尽に罰せられ、沈黙させられる話、また古典の語り直し作品という意味では鏡花もリトールドものを書いていたと言えるなぁと思ったけど、アトウッドはその先を行って死後の女に語らせたのが面白かった。
ここは古代ギリシャと日本の死後世界観の違いが出ているんだろうと思う。
ただ、だからといってアトウッドのほうが秀作と言いたいわけではなく、今作の「ペネロピアド」がもう覆らない運命を死後から語り直す話とするなら、鏡花作品は生前も死後も語り得ない女が語る"口"や"言葉"を持たない代わりに自らの形容や周囲の自然環境を変化させて雄弁にものを語る話と言えて、同じ「語れない女」というテーマは生まれるのに作者や文化圏の違いでまったく違う作品が生まれるんだなと、読んでいてその違いが楽しかった。