チャモピーピーチャマ
@chu_berry
2025年11月30日

定本 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (社会科学の冒険2期4)
ベネディクト・アンダーソン
読んでる
p.62
ヘーゲルは、近代人には新聞が朝の礼拝の代わりになったと言っている─は逆説的である。(略)沈黙に頭蓋骨の中で行われる。しかし、この沈黙の聖餐式に参加する人々は、それぞれ、彼の行なっているセレモニーが、数千(あるいは数百万)の人々、その存在には揺るぎない信頼をもっていても、それでは一体それがどんな人々であるかについてはまったく知らない。
←読んでてドキドキしちゃった 新聞によって特定の領域に同時に存在している国民の存在を人々に植え付け「想像の共同体」を形成する過程が端的に現れている
アンダーソンが例示した俗語書籍や新聞はいわゆるオールドメディアで、今はおよそネットニュースやTwitter、instagramあたりに聖餐式が移行していると私は思っている。これで今まで目に見えなかった聖餐式の参列者が見えるようになり、顔馴染みになっていったりしたらナショナリズムの捉え方もまた変わってくるんじゃなかろうか。同じ言語のニュースを同時に見ているだけではなくて、双方向的なリアクションまでを伴うことでやっと確信に至るようになっていたり、、?(まったく想像の範囲をでないが、エコーチェンバー的な要素が現代ナショナリズムの肝かも??)