チャモピーピーチャマ
@chu_berry
- 2026年5月11日
- 2026年5月6日
- 2026年4月27日
- 2026年4月19日
蟹工船・党生活者小林多喜二蟹工船読んだ!こんな船ぜっったい乗りたくないよォ 不衛生な船内の描写が生々しくて読んでて臭かった、シラミとか垢とかたっぷりの人間が詰めたカニ缶てふつうに色々混じってそう 小林多喜二が当時赤い機関紙に載せた文章なので、辛い境遇の労働者→オルグ→サボ→スト→勝利の革命王道ストーリーという感じ?おそらく 今個室あり個人トイレあり福利厚生ありな船乗りの働き方が保障されているのは先人の闘争あってのことなんだなあ - 2026年4月17日
【復刻版】谷崎潤一郎全集第16巻-「蓼食う虫/饒舌録/芸術一家言」しみじみ朗読文庫,谷崎潤一郎たかのに教えてもらった蓼食う虫読んだ! そこで終わる??!?という切れ方で、それが壮絶な感じがあって面白かった 谷崎(の作品に出てくる人)は子どもの扱いが雑 - 2026年4月9日
- 2026年4月8日
- 2026年2月16日
白人ナショナリズム渡辺靖読み終わった面白かった!白人ナショナリズム団体やKKKの有名人など当事者コミュニティに入り込んでのインタビューが充実していて極右の生の声ってこんな感じなのね、、となった ・著者もたびたび言及しているが、白人主義者が決して無知で粗野ではなく(南部のイメージ修正で気をつけているのはもちろん)、高学歴で穏和な人が多く、差別正当化の理屈も一見筋が通っているように見える。日本でも昨今流行している排外主義の当事者も同じ感じなのだろうか。リベラリズムに絶望〜という経歴を持っている人は日米関係なく多そうだ ・アファーマティブアクションへの反感について、若い世代が「自分たち白人は、咎められ許しを乞うばかりの存在なのだろうか」と辟易しているという話もあった。 歴史的に形成された自分の取り分が(不当に)侵害されているとなれば、内集団が実際に優越しているという事実をもって現状維持を正当化したい→白人はすごい、えらいといえそうな理由を探すという流れ “逆差別”にかかわる話だと、理系大学の女子枠導入などのバックラッシュも同じ理屈なんだろうな ・オバマに対する態度 黒人の代表として頑張っていてすごい!(白ナ)vs脱人種の態度で大統領を頑張っていてすごい!(リベラル) 人種差別をなくそう!と人種差別は存在しないの間には思ったより大きな隔たりがある? ・トライバリズムという新しい単語が出てきた。ネーションより民族より狭い「部族」意識。ポストトゥルース的な態度を「専門家部族」と書いていて、なるほどと思った。自然科学の専門知をひとつの文化とみなし、相対主義的に退けるんだなあ その、終始筋は通ってるけど倫理的にいかんだろというツッコミが入る感じ、、 - 2026年2月9日
- 2026年2月8日
- 2026年2月5日
ナショナリズムという迷宮 ラスプーチンかく語りき佐藤優,魚住昭読み終わった😵💫😵💫😵💫 理論書というより、ナショナリズムを大テーマにした佐藤優氏の知識網披露だった、ナショナリズムのことはますますわからなくなっている ・左右対立は、貨幣の暴力と国家の暴力に対する反応にズレがあるから←なるほど ・ゲルナーの話もちょっと出てきた、ナショナリズムは一意に定義できるものというより、文化によってその形が規定されるという論?ということ? ・産業社会において流動的で匿名性のある労働力を手にすることと、近代国家において均質で管理可能な国民をもつことの一致←たしかに🦀 ・ファシズムの担い手は中産階級←この話もうちょっとわかりたい、そしてブリュメール18日クーデタ現象もわかりたい なぜ利益供与先と支持基盤に不一致があるかの話?一旦宿題ということで - 2026年2月2日
民族とネイション塩川伸明ちょっと開いた第1章でエスニシティ、民族、国家、ネイションについての定義と相互関係の類型を確認したのち近代国家以降の個別具体事例をざっとみるという構成。総論が見たかったので2-4章は流し読みしてしまった すみません ネイションと国家の相互関係(ディアスポラのように国家に少数民族としてネイションが入っている場合とか、アラブ国家のようにアラブ民族というクソデカネイションの中に国家がある場合とか)について、頭が整理された感じがある。歴史なり政治なりで民族とネイションが合致する場合は少ない、むしろ近代国家が作為によって境界を引いていることを考慮すれば一致しないことが自然と書いてあってなるほど〜と思っている あとがきの、ナショナリズム研究において個別具体の事例なしに考えることはできないという節が印象的だった。ベネディクトアンダーソンの場合、インドネシアでは「マレー語という公用語を共有するネイションとしてのインドネシア」というふうにネイションと国家が接近しているためエスニックの説明が手薄になっているという指摘、これから『想像の共同体』読もうとしてた身からすると大変ありがたい、、 個別具体の事例に取り組む必要があるといわれちゃったので、一旦は日本ないし東アジアのナショナリズムについて考えるかね 次は小熊英二『単一民族神話の起源』かなあ - 2026年2月1日
専門書を読む吉田文,渡邉浩一,濱中淳子ちょっと開いた大学の学部生が少人数授業ではじめての専門書に取り組む姿の観察が多い。 中学高校では小説を読み読書感想文を求められてきた学生が、いかに人文社会学の概念装置を使い議論を行いうるかという課題意識が共通していた。 高大接続にあたる先生方の苦労を思ったり、全然読めない学生の気持ちになったりできて面白かった。初年度ゼミを2回も受けたが、あれもありがたい機能だったんだな… 最低限の日本語を読めるようにするというのは低偏差値大学不要論に対抗できる一つの材料かもしれない - 2026年1月28日
- 2026年1月9日
みんなの「わがまま」入門富永京子読み終わった序盤で「わがまま」を「自分あるいは他の人がよりよく生きるために、その場の制度やそこにいる人の認識を変えていく行動」と定義する、社会運動入門の本だった。 あえて「わがまま」と社会運動を冷笑する側に寄せた語を設定することで、私みたいな不安がりにも読みやすくつくられてるんだろうな ありがたいところ↓ ・p.132トーンポリシングについて 「説明してよ」=不合理に対する不満を表明するためには論理的に言語化しなくてはいけない、という一種の権力性がある(のでよくない!という話) 高度な説明能力を有さなくてもためらわずに簡単な言葉や粗野なものでもいいのでどんどん発信していこうとのこと 素人が口を出すのは議論の余計な混乱を招くのでは?と保守的な気持ちになる一方、シュクラーみたいに当事者の言語を最も重んじる派もある。草の根レベルではどんな言葉をどれだけ感情的にも発信することが許される一方で、行政なり説得対象なりとの間には論理的な言語による仲介が必要ではないか。 とにかくトーンポリシングがどういう構造になっているのかは理解が進んだかも。 ・p.171『ハマータウンの野郎ども』と「らしさ」 「「イキる」「オラつく」人々にとっては、勉強を意味のないものとし、学校において望ましい価値観を身につけないことこそが、彼らなりの生きる知恵であったり、集団に適応する手段なのでは」 という節がある。反知性主義とか陰謀論もたぶんこのノリ?納得したかも 道理が通っていると社会的に許容できるの境目については曖昧 ・身近なものに引き付けて語ることについて これめちゃくちゃ違和感を感じていた。戦争は「いやだ」より「よくない」の方が適切だという感じ。 しかしこのような伝え方は活動家の意図的なものらしい、難しい政策や外交のことはわからない人にも訴えられるようにとのこと。戦略だったんだ、、 本の中では、身近な問題、自分が当事者であることしか語れなくなってしまうことがデメリットとして挙げられている。でも多分反発する人(私)は逆のデメリットを考えている気がする。 このあたりについて私は、自分の身にかかわるような身近な問題ではなくて大きな仕組みの中で自分の役割とかを見たくて、自分の身の回りのことだけを考えるのがまさに「わがまま」だから気が引ける、と考えている。私が捻くれているはずれの例なんだろうか(徴兵されるのは嫌だと国際法秩序が崩れるのはよくないは同じレイヤーで語れるんだろうか) 読んでも読んでも固い頭は解れない感じがある。シュクラー、ヴェイユを読んだ方がいい(ほんとにそれでいいのか?) - 2025年12月16日
私の最高の彼氏とその彼女ミン・ジヒョン,加藤慧読んでるp.130「社会という複雑なシステムの中で、ある特徴を持って生まれた個人として、自分が属する集団が、自分の意図と関係なく、他よりも優位になることを受け入れるのは、教養ある現代人の基本要素だ」 ←良い節!不平等に反対する以前に、不平等であるという事実認定が大事で、まず「受け入れる」ことの重要さがある。平等って難しい…… - 2025年12月2日
不寛容論森本あんりちょっと開いたp.94 の外科手術の例え 病巣が小さければ手術で摘出するし、大きすぎて摘出による本体へのダメージが大きいとなれば病巣はそのままにする。病巣(=排除したい他者)と身体(共同体全体)の間で利益衡量が行われることで寛容/不寛容の態度決定がなされるのはなかなか論理的ではなかろうか。 - 2025年11月30日
- 2025年11月30日
定本 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (社会科学の冒険2期4)ベネディクト・アンダーソン読んでるp.62 ヘーゲルは、近代人には新聞が朝の礼拝の代わりになったと言っている─は逆説的である。(略)沈黙に頭蓋骨の中で行われる。しかし、この沈黙の聖餐式に参加する人々は、それぞれ、彼の行なっているセレモニーが、数千(あるいは数百万)の人々、その存在には揺るぎない信頼をもっていても、それでは一体それがどんな人々であるかについてはまったく知らない。 ←読んでてドキドキしちゃった 新聞によって特定の領域に同時に存在している国民の存在を人々に植え付け「想像の共同体」を形成する過程が端的に現れている アンダーソンが例示した俗語書籍や新聞はいわゆるオールドメディアで、今はおよそネットニュースやTwitter、instagramあたりに聖餐式が移行していると私は思っている。これで今まで目に見えなかった聖餐式の参列者が見えるようになり、顔馴染みになっていったりしたらナショナリズムの捉え方もまた変わってくるんじゃなかろうか。同じ言語のニュースを同時に見ているだけではなくて、双方向的なリアクションまでを伴うことでやっと確信に至るようになっていたり、、?(まったく想像の範囲をでないが、エコーチェンバー的な要素が現代ナショナリズムの肝かも??) - 2025年11月30日
読み込み中...


