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チャモピーピーチャマ
@chu_berry
  • 2026年2月16日
    白人ナショナリズム
    面白かった!白人ナショナリズム団体やKKKの有名人など当事者コミュニティに入り込んでのインタビューが充実していて極右の生の声ってこんな感じなのね、、となった ・著者もたびたび言及しているが、白人主義者が決して無知で粗野ではなく(南部のイメージ修正で気をつけているのはもちろん)、高学歴で穏和な人が多く、差別正当化の理屈も一見筋が通っているように見える。日本でも昨今流行している排外主義の当事者も同じ感じなのだろうか。リベラリズムに絶望〜という経歴を持っている人は日米関係なく多そうだ ・アファーマティブアクションへの反感について、若い世代が「自分たち白人は、咎められ許しを乞うばかりの存在なのだろうか」と辟易しているという話もあった。 歴史的に形成された自分の取り分が(不当に)侵害されているとなれば、内集団が実際に優越しているという事実をもって現状維持を正当化したい→白人はすごい、えらいといえそうな理由を探すという流れ “逆差別”にかかわる話だと、理系大学の女子枠導入などのバックラッシュも同じ理屈なんだろうな ・オバマに対する態度 黒人の代表として頑張っていてすごい!(白ナ)vs脱人種の態度で大統領を頑張っていてすごい!(リベラル) 人種差別をなくそう!と人種差別は存在しないの間には思ったより大きな隔たりがある? ・トライバリズムという新しい単語が出てきた。ネーションより民族より狭い「部族」意識。ポストトゥルース的な態度を「専門家部族」と書いていて、なるほどと思った。自然科学の専門知をひとつの文化とみなし、相対主義的に退けるんだなあ その、終始筋は通ってるけど倫理的にいかんだろというツッコミが入る感じ、、
  • 2026年2月9日
    ナショナリズムとは何か
    すみませんやっと買いました
  • 2026年2月8日
    「能率」の共同体――近代日本のミドルクラスとナショナリズム
    うおーナショナリズム論の掴みどころのなさとフーコーの権力論が悪魔合体を起こしてなんかめっちゃ面白いかも 1920年代の文化主義の話まで読んだ、包摂は動員を可能にする的な『実験の民主主義』の話を思い出す 個人への配慮を行うということは、動員可能な資源として把握することだと思うと、国家から生活を保障されるってそういうことかと冷たい気分になるねー
  • 2026年2月5日
    ナショナリズムという迷宮 ラスプーチンかく語りき
    😵‍💫😵‍💫😵‍💫 理論書というより、ナショナリズムを大テーマにした佐藤優氏の知識網披露だった、ナショナリズムのことはますますわからなくなっている ・左右対立は、貨幣の暴力と国家の暴力に対する反応にズレがあるから←なるほど ・ゲルナーの話もちょっと出てきた、ナショナリズムは一意に定義できるものというより、文化によってその形が規定されるという論?ということ? ・産業社会において流動的で匿名性のある労働力を手にすることと、近代国家において均質で管理可能な国民をもつことの一致←たしかに🦀 ・ファシズムの担い手は中産階級←この話もうちょっとわかりたい、そしてブリュメール18日クーデタ現象もわかりたい なぜ利益供与先と支持基盤に不一致があるかの話?一旦宿題ということで
  • 2026年2月2日
    民族とネイション
    第1章でエスニシティ、民族、国家、ネイションについての定義と相互関係の類型を確認したのち近代国家以降の個別具体事例をざっとみるという構成。総論が見たかったので2-4章は流し読みしてしまった すみません ネイションと国家の相互関係(ディアスポラのように国家に少数民族としてネイションが入っている場合とか、アラブ国家のようにアラブ民族というクソデカネイションの中に国家がある場合とか)について、頭が整理された感じがある。歴史なり政治なりで民族とネイションが合致する場合は少ない、むしろ近代国家が作為によって境界を引いていることを考慮すれば一致しないことが自然と書いてあってなるほど〜と思っている あとがきの、ナショナリズム研究において個別具体の事例なしに考えることはできないという節が印象的だった。ベネディクトアンダーソンの場合、インドネシアでは「マレー語という公用語を共有するネイションとしてのインドネシア」というふうにネイションと国家が接近しているためエスニックの説明が手薄になっているという指摘、これから『想像の共同体』読もうとしてた身からすると大変ありがたい、、 個別具体の事例に取り組む必要があるといわれちゃったので、一旦は日本ないし東アジアのナショナリズムについて考えるかね 次は小熊英二『単一民族神話の起源』かなあ
  • 2026年2月1日
    専門書を読む
    専門書を読む
    大学の学部生が少人数授業ではじめての専門書に取り組む姿の観察が多い。 中学高校では小説を読み読書感想文を求められてきた学生が、いかに人文社会学の概念装置を使い議論を行いうるかという課題意識が共通していた。 高大接続にあたる先生方の苦労を思ったり、全然読めない学生の気持ちになったりできて面白かった。初年度ゼミを2回も受けたが、あれもありがたい機能だったんだな… 最低限の日本語を読めるようにするというのは低偏差値大学不要論に対抗できる一つの材料かもしれない
  • 2026年1月28日
    アメリカの政治 増補版
    テスト対策で読んでる 初版2011年(オバマ政権)の時に書かれたのもあるのか、今ほど共和党が保守化していない印象をうける
  • 2026年1月9日
    みんなの「わがまま」入門
    序盤で「わがまま」を「自分あるいは他の人がよりよく生きるために、その場の制度やそこにいる人の認識を変えていく行動」と定義する、社会運動入門の本だった。 あえて「わがまま」と社会運動を冷笑する側に寄せた語を設定することで、私みたいな不安がりにも読みやすくつくられてるんだろうな ありがたいところ↓ ・p.132トーンポリシングについて 「説明してよ」=不合理に対する不満を表明するためには論理的に言語化しなくてはいけない、という一種の権力性がある(のでよくない!という話) 高度な説明能力を有さなくてもためらわずに簡単な言葉や粗野なものでもいいのでどんどん発信していこうとのこと 素人が口を出すのは議論の余計な混乱を招くのでは?と保守的な気持ちになる一方、シュクラーみたいに当事者の言語を最も重んじる派もある。草の根レベルではどんな言葉をどれだけ感情的にも発信することが許される一方で、行政なり説得対象なりとの間には論理的な言語による仲介が必要ではないか。 とにかくトーンポリシングがどういう構造になっているのかは理解が進んだかも。 ・p.171『ハマータウンの野郎ども』と「らしさ」 「「イキる」「オラつく」人々にとっては、勉強を意味のないものとし、学校において望ましい価値観を身につけないことこそが、彼らなりの生きる知恵であったり、集団に適応する手段なのでは」 という節がある。反知性主義とか陰謀論もたぶんこのノリ?納得したかも 道理が通っていると社会的に許容できるの境目については曖昧 ・身近なものに引き付けて語ることについて これめちゃくちゃ違和感を感じていた。戦争は「いやだ」より「よくない」の方が適切だという感じ。 しかしこのような伝え方は活動家の意図的なものらしい、難しい政策や外交のことはわからない人にも訴えられるようにとのこと。戦略だったんだ、、 本の中では、身近な問題、自分が当事者であることしか語れなくなってしまうことがデメリットとして挙げられている。でも多分反発する人(私)は逆のデメリットを考えている気がする。 このあたりについて私は、自分の身にかかわるような身近な問題ではなくて大きな仕組みの中で自分の役割とかを見たくて、自分の身の回りのことだけを考えるのがまさに「わがまま」だから気が引ける、と考えている。私が捻くれているはずれの例なんだろうか(徴兵されるのは嫌だと国際法秩序が崩れるのはよくないは同じレイヤーで語れるんだろうか) 読んでも読んでも固い頭は解れない感じがある。シュクラー、ヴェイユを読んだ方がいい(ほんとにそれでいいのか?)
  • 2025年12月16日
    私の最高の彼氏とその彼女
    私の最高の彼氏とその彼女
    p.130「社会という複雑なシステムの中で、ある特徴を持って生まれた個人として、自分が属する集団が、自分の意図と関係なく、他よりも優位になることを受け入れるのは、教養ある現代人の基本要素だ」 ←良い節!不平等に反対する以前に、不平等であるという事実認定が大事で、まず「受け入れる」ことの重要さがある。平等って難しい……
  • 2025年12月2日
    不寛容論
    不寛容論
    p.94 の外科手術の例え 病巣が小さければ手術で摘出するし、大きすぎて摘出による本体へのダメージが大きいとなれば病巣はそのままにする。病巣(=排除したい他者)と身体(共同体全体)の間で利益衡量が行われることで寛容/不寛容の態度決定がなされるのはなかなか論理的ではなかろうか。
  • 2025年11月30日
    増補改訂版 スマホ時代の哲学 「常時接続の世界」で失われた孤独をめぐる冒険
    『ファンたちの市民社会』を読んでいたおれへ 守破離の「守」がだいじ派に出会ったよ kindleで買ったからもったいなくて、サンクコストのはずなのに読み進めています
  • 2025年11月30日
    定本 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (社会科学の冒険2期4)
    p.62 ヘーゲルは、近代人には新聞が朝の礼拝の代わりになったと言っている─は逆説的である。(略)沈黙に頭蓋骨の中で行われる。しかし、この沈黙の聖餐式に参加する人々は、それぞれ、彼の行なっているセレモニーが、数千(あるいは数百万)の人々、その存在には揺るぎない信頼をもっていても、それでは一体それがどんな人々であるかについてはまったく知らない。 ←読んでてドキドキしちゃった 新聞によって特定の領域に同時に存在している国民の存在を人々に植え付け「想像の共同体」を形成する過程が端的に現れている アンダーソンが例示した俗語書籍や新聞はいわゆるオールドメディアで、今はおよそネットニュースやTwitter、instagramあたりに聖餐式が移行していると私は思っている。これで今まで目に見えなかった聖餐式の参列者が見えるようになり、顔馴染みになっていったりしたらナショナリズムの捉え方もまた変わってくるんじゃなかろうか。同じ言語のニュースを同時に見ているだけではなくて、双方向的なリアクションまでを伴うことでやっと確信に至るようになっていたり、、?(まったく想像の範囲をでないが、エコーチェンバー的な要素が現代ナショナリズムの肝かも??)
  • 2025年11月30日
    近世日本の「礼楽」と「修辞」
    全然わかれてなくて涙
  • 2025年11月11日
    ファンたちの市民社会
    著者インターネット好きすぎるな、、キムカーダシアンのKimono炎上久々に思い出した ・メディアへの関わり方には、自分の欲望が必ず内在しているという話が興味深かった。ただエゴイスティックな欲望やナルシシズムについて人から「君はこういう欲望を持ってるんだよ」みたいなわかりげな分析されたらキレちゃいそう、あくまで自覚する形で認識しないと停滞しそうだなあ ・文化の盗用(マジョリティがマイノリティの文化を差別化の道具にする)と二次創作(マイノリティがマジョリティの文化を用いて自己の欲求を満たす)の差異がかなりスリリング、もっと知りたい 『コモンズと文化:文化は誰のものか』の紹介があった 二次創作、ファンダムの良さについては散々語られてきてそういった行為が個々人の欲求を昇華させることについてはわかった。しかし思想・良心の自由でいう「目に入れない自由」の議論や一次創作者の権利(流用されない権利、知財とはまたニュアンスが違う気もする)との衝突については不勉強でわからないところが多い。 ・ずっと思ってた観光批判についてちゃんと文章になってるのを初めて読めたのもよかった。 金と時間の余剰がある人が自分の住んでいない場所に行って在地の体験や住民のサービスを金で買うという構造、自覚的になればなるほど好きではない。本文では、資本主義的な仕組みの中で観光経験を買う際は快楽の大きいステロタイプで提供されがちなことに自覚的になり、自分で考えながら情報を受け取るようにしようという感じの締め方がなされていたが、、 (本の感想というよりは愚痴)消費者、被治者の実践という話になると守破離でいう「破離」の部分ばかりが取り上げられていて、自由な実験、コミュニティでの交流が主眼に置かれていてもやもやする。自由な活動をするための「守」すなわち基礎知識の獲得についてはあまり触れられていなくて、いざ実践するぞとなっても何から取り組んだらいいかわからなくないか
  • 2025年11月10日
    近世日本の「礼楽」と「修辞」
    ゼミのために立ち向かう!徂徠もわかりあいに対してニヒルな態度とってる印象
  • 2025年11月9日
    定本 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (社会科学の冒険2期4)
    お、おもしろい 難しいけど 近代分析の新たな視角を得ています 神と聖言語によってつくられた大きな中世的共同体が近代国家に再編成され、同時性─俗語による出版の興隆による時空間的な連帯感に基づく近代国家に再編成されていったというような話
  • 2025年11月9日
    中立とは何か
    中立とは何か
    ウェーバーの「価値自由」論についての説明?の本 ウェーバーの著作の読んだことあるぅな部分が出てくるとうれしい!解説書から読むのもいいけど、原著さらっておくとわかりみが格段に違うかもしれん ・価値自由においては事実と価値の区別が必要:判断における事実の取捨選択を避け、自信の党派性(神)を認識すること ・秩序批判:学問の過程において法則性を見つけたとて、法則を規範と考えて再現しようとするのは違う。学問の領分ではない規範論にはみ出すことは、規範=秩序への依存を強め、学問の価値自由を損ねる可能性がある。 ・価値自由と中道は異なるどころかむしろ逆の概念かもしれない。中道というのはもっぱら政治的な概念であり、さまざまな意見や状況を勘案して総合的な判断を下すことを指している。しかし中道はどっちつかずの思考をもたらしキレのない議論になってしまう懸念がある。学問の価値自由とは異なる価値観が存在することを真正面から受け止めること(それでおしまい)?←価値相対主義との違いは???これでおしまいでええんか?? ・神々の闘技場としての「価値討論」:対立する意見の相違点と価値の最も大事な部分を突き詰める試みであり、議論と反省を経て自分自身の立場を明確にしていくプロセス←これを価値相対主義のアンサーにできるのか?熟議民主主義や闘技民主主義ともまた違う、どうせ平行線だけど話し合って差異ははっきりさせようやというニュアンスらしいけど… ・p.64「ポジションの変化のない読書は、自分のポジションの正しさを確認するにすぎず、安心する手段にすぎない」だっけ、至言 ・4章以降あんまわかんなかった、丸山眞男、大塚久雄、安藤忠雄について知識を増やさないとうまみがわからないかも〜😵‍💫
  • 2025年11月7日
    〈私〉時代のデモクラシー
    p.46フロムは自由それ自体の価値という前提は疑わず、いわば価値あるものに対し、現実の人間がそれを担う準備や資質が足りていないとした一方、現代において語られる否定的な個人主義は人が端的に無力であること、脆弱であることから出発し、欠如としての個人化が語られる ↑違いが厳密にはわかっていない……
  • 2025年11月6日
    職業としての学問
    職業としての学問
    金にも自己実現にもならないのになんで読んでるんだろ〜😭という気持ちにはこの先1週間くらいならないで済みそう ・1919年の悩めるドイツ青年向けの講演だけど現代病理にも十分対応されそうな議論 ・「神々の闘争」概念についてだけ聞き齧っていて、そこについて知りたいと思って読んだ。学問に献身することで自分が信じる神を決め、他の神を否定する決意を持つべきことは本を読んで新しくわかったのでうれしい ・学問を修める人が、自分の学問を利用してむやみに自分の「個性」を誇示してはいけない。ひたすら学問に情熱を傾けること以上に個性的なことはない、という部分が刺さった。ヨビノリが「何者かになりたければ専攻ガチれ」っていってたことにも通ずる。私はちゃんとした専門分野も打ち込む対象もないので、やらかしていないか心配にもなった。 ・神が死んで久しい2025年に、絶対的で譲れない価値秩序を選び取るのって相当難しくないか、、?
  • 2025年11月6日
    自由からの逃走
    自由からの逃走
    早稲田1年目の時に仲良くなった人が「大学に入って自由が増えて困ったので読んでます」的なことを言っていたが、これを読んでその悩みは改善されたのだろうか、、 p.76「一つの思想について、その意識的に志向された意味と、真の心理的意味の食い違いは、ここでわれわれが問題にしているルッターの教義を分析しても、取り出すことができるのである」 p.154「無意識的な力の概念を利用する心理学だけが、個人や文化を分析すさい、われわれが誤って犯している合理化を、つきやぶることができる」←かっこいい。社会学から心理学に転向したフロムにしか言えないよ p.185「しかしわれわれのみるところによれば、権威は無くなったにではなく、むしろ目に見えなくなっただけである。(略)常識、科学、精神の健康、正常性、世論」←ほんっっまにそれ、宗教的権威がなくなったとてわれわれ人間は何かに行動を誘導されているし価値観を規定されているような不安が離れない!広告の社会学とか読んでおいた方がいいかも?? 積極的自由を意識的に行使することがニヒリズムへの対処法か〜そんなこと大衆にできるんだろうか(ニヒリズム??) プロ倫と並行して読んだせいで、ウェバーの主張とフロムのアイデアが頭の中でごちゃごちゃになってしまっていてまずい、その仕分けについては仲正の解説が役に立ってるかもしれない チャッピに話しかけたらなんかいいこと言われて鬱→ せやから実践的に言えば、積極的自由とは「選ばされている自分を自覚しながらも、それでもなお選び続けること」やろな。 逃げられん社会的条件の中で、あえて自分の神を引き受けて、それを媒介に他者へ働きかける——そういう矛盾を引き受ける姿勢。
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