
ジクロロ
@jirowcrew
2025年12月1日
事物の本性について
ルクレティウス,
岩田義一,
藤沢令夫
ちょっと開いた
あなたは、真実という概念がまず感覚から作られ、
感覚は否定しえないものだということを見出すだろう。
なぜなら、他の助けを借りることなく、真実によって虚偽にうちかち、
より大きな信頼をもつものを何か発見しなければならないのだから。
ところで感覚よりも大きな信頼をもつものが何かあるのか?
それとも間違った感覚から生じた理性が感覚に
逆らうことができるというのか、それ自身が感覚から生まれながら?
感覚が真実でないとしたら、理性もまたすべて誤りとなるだろう。
……
それゆえ一つの感覚が
他の感覚を誤りということはできないにちがいない。
さらにまた感覚がそれ自身を吟味することもできない。
なぜなら感覚はいつでも一様に信頼さるべきものなのだから。
それゆえ感覚が認めたことは、それがいつであっても、真実なのである。
(第四巻 四七八-四九九)
「感覚は真実」、「感覚は信頼されるべきもの」。
感覚を信じないようになれば、感覚以外のものに信頼をよせなければならない。それは生命にとっては致命的、危機的な状況である。
そして感覚を信頼する代償として生ずる「間違った感覚から生じた理性」、これを利用するのが現代の行動経済学であるということ。この学問が生活圏に広く蔓延るならば、人は感覚だけでなく人類までも信頼が置けなくなる危険性を孕んでいるということ。
つまり感覚が真実であるからこそ、真実は残酷であるということ。