
やえしたみえ
@mie_e0125
2025年12月8日
若きウェルテルの悩み
ゲーテ
読み終わった
@ 自宅
主人公ウェルテルや魂の恋人であったロッテに意識が向くのは当然だが、これだけの、恋という熱病に浮かされた精神錯乱者の書簡を受け取り、返事をし続けた献身的な友人ウィルヘルムのことが気にかかる。こんなメンヘラの相手を続けるなんてなかなかやれるものじゃない。お疲れ様でしたという気持ちになる。
ウェルテルにならった自殺が当時も流行ったらしいが、人というのは本当に変わらない。現代でも有名人が自殺するとこぞって人々が自殺する現象を『ウェルテル効果』と呼ぶ。自殺、あるいは完全なる狂気というものは、ある一定の人には救いの道に見えるものだ。この点、私も精神疾患であるからそれなりにわかるものの、結局のところ、それで死に惹きつけられるのは、ウェルテルも芸能人も、どうしようもなくフィクションだからだ。現実はともかく、自殺志願者の脳から見て、生きた人間として扱っていないからだ。
──しかしゲーテの真意は自殺弁護にあったわけではない。ヴェッツラルから帰ったあとの一時期、彼自身、生への倦怠から死を想い、短剣を手にしたこともあるほど不安定な精神状態にあった。そういう時期にヴェッツラルでの旧友イェルーザレム自殺の方が届いた。強烈なショックを受けたゲーテは、「夢から揺り起こされ」た。
(p.232 解説より)
ゲーテは「夢から揺り起こしたかった」のだ。事実、この古典的名作は以下のように始まる。
──また、ちょうどウェルテルと同じように胸に悶えを持つやさしい心の人がおられるならば、ウェルテルの悩みを顧みて自らを慰め、そうしてこの小さな書物を心の友とされるがよい、もし運命の巡り合わせや、あるいは自分の落度から、親しい友を見つけられずにいるのなら。
(p.4)
読者である我々は、自身がウィルヘルムという献身的な友になり、ウェルテルの実在を、その生々しさを感じ取り没入し、結末、親友ウェルテルの悲劇的な結末により、死という甘美な夢から揺り起こされなければならなかったのだ。彼と死の概念を、フィクションの微睡のままにしてはいけない。
愛しいロッテの立場に立ってみよ。ウェルテルは陶酔と狂気の中ピストルを引いたかもしれないが……即死ではなかった。彼は長い時間苦しんだであろうことが推測できる。自身の渡したピストルによって!この結末をどこかで予感していたのに!そして、ロッテは悲しみのために葬儀に現れることもできず、ただ静かに葬られる。ウェルテルの結末を見よ、彼は愛しい人を完膚なきまでに傷つけてしまった。確かに死によって彼はロッテへの愛を永遠のものとしたが……ウェルテルはいつも自分のことばかりだ。彼は常に自己の内面へ内面へ向かう。それには美しさもあり、だからこそ名作であるのだが、それは我々がウェルテルに憧れて自殺するのが善いという意味には全くなり得ない。
「編集者」は、ウェルテルを憐れみ、愛し、そして友として欲しかったのであって、皆にウェルテルになって欲しかったわけではない。このような悲しみをただ悲しみとして抱え続けるのは苦しいことだから、こうして書物として編み上げたのである。ここまでは全部私の想像にすぎないことだ。しかし、実際にゲーテは、この本を書くことで自身に訪れた自殺の誘惑という危機に打ち勝ったと言われている。であれば、「編集者」の意図もそこにあろうと想像するのは自然ではないか。
若者はウェルテルを心の友としよう。実在した一人の哀れな青年に、本気で心を傾けるべきだ。私ももう少し若い時に読んでおくべきだった。もちろん、今読んでも名作は名作であるが、どんな作品にも最も響く年齢というのがあるものだ。
