
やえしたみえ
@mie_e0125
2025年12月14日
死刑囚の記録
加賀乙彦
読み終わった
@ 自宅
古い本だが、勉強になる。死を目の前にした死刑囚たちの拘禁反応については今も昔も変わらないだろうし、著者が実際に接してきた、生きた人間としての生々しい死刑囚の姿が映し出されている。拘置所では実際どんな生活を送るのかも、拘置所勤務であった著者によって明瞭に描かれている。とはいえ古い本なので、内部の運用については変わっているところもあるだろう。
死刑囚も人間であるから、その人間性も様々だ。出たらまた殺すから死ぬしかないと控訴をしない者、真犯人は別にいるんだと妄想で騒ぎ立てる者、一人一人細かに見ていくと多種多様な心の動きがそこにはあるが、精神療法的にいくつかのパターンに大別することはできるようだ。しかしともかく、精神療法を必要とする者が多い。当然だろうが。
以前から教誨師という仕事に興味があったが、思いがけず彼らの導きについても触れることになった。回心したフリをして、差し入れにしか興味のない者もあり、読んでいるこちらまで項垂れた。しかし、敬虔な信徒として洗礼を授かり、生涯を神の子として生きた者もいた。この存在には、一信徒として、大いに励まされた。死の確定している身でありながら、現世利益など望めぬ立場でありながら、神を本来の意味で信頼する彼ら。
罪は罪である。法治国家である以上、犯した罪は裁判によって決定された罰、すなわち命で償わなければならないし、それでも殺した人は帰ってこない。罪を犯した事実は消えない。しかし彼らはそうして単に国家に殺される以上に深く罪と向き合うこととなった。遺族からしたら洗礼を受けてようがなんだろうが糞食らえだろうと思うが、通りすがりの一信徒としては、被害者も加害者も神のみ前において安らかであることを祈りたい。
死刑囚(および死刑か無期がほぼ確実視される未決囚)に共通する、残り短い人生で全てのエネルギーを放出しようとする傾向についての話は面白かった。明日死ぬかもしれないと思いながら生きる。常にこれが人生最後の行動かもしれないと思って生きる。よく、これが人生で最後かもと思って何事もやれ、みたいな言葉が格言として取り沙汰されるが、そう思わずにのんべんだらりと暮らせる今に感謝したくなった。
元々加害者福祉に興味があるが、聞いていて悍ましい人間だとさえ思ってしまうような、積極的に救いたくはならない悪辣な人間であればこそ、彼らの魂の救済をどうにかできないものか、と感じる自分がいる。それができれば、神の手は全人類に及ぶという確信が持てるからだろうか。差し入れのために複数の宗教、宗派の教誨師に連絡を取り「あっちの坊主は差し入れが足りない」などと言ってるような人たちにこそ、差し入れという現世利益ではない、真の救済を知ってほしい。罪を犯す前に神の愛を知っていれば、彼らと彼らの被害者は死なずに済んだかもしれない。本書を読むと、回心が一筋縄ではいかないことがよくわかるが、成功例も確かにあったのだ。思いがけず、宣教の大事さに向き合う読書体験となった。

