花木コヘレト "トマス・アクィナス" 2025年12月15日

トマス・アクィナス
人生が変わりました。すごい一冊です。 読んでいる間、ずっとパスカルの『パンセ』を私は思い出していました。とにかく論理が、突然には飛躍しない、常識的に進められていく、という点で類似点を感じました。 けれど『パンセ』みたいな「皮肉」は一切なしで、とても読んでいて安心できます。もちろんかなり、特に神秘についての解説箇所などは、難しいですが、読んでいるだけで癒されるような(でも理解しなきゃダメだと思いますが笑)、そういう本でした。 読んでいて癒されるというのは、まずは、「親和性による認識」という概念に出会ったときに、感じました。勉強をして理解できる世界もあるけれど、経験とかで理解できる世界もあります。こういう、「理解」=「認識」が、学力不足の人にも、開かれているということに、とても勇気が与えられました。 次は、とにかく「自己愛」についてです。どうやらトマスは、自己愛を隣人愛よりも優先しても良いと考えていた、というか、少なくとも自己愛をかなり積極的に擁護しているように、私は理解しました。つまり、神の愛が第一に現前するのは、自己に対してであり、つまり、この自分を愛さなければ、神からの愛を損なってしまいかねない、ということだと、理解しました。 つまり、他者との「一致」も必要だけれど、まずは自分という「一」、「一性」、これを満たすことが必要だ、と書いてあり、これは本当に私の人生が変わりました。今まで、世の中を生きるということは、まずは協調性が求められる、と私は考えていました。しかし、トマスの教えによればそうではありません。協調性を持つためには、むしろまずは自己の「一」、「一性」を満たさなければならない、と書いてあるように思えました。これは論理的に頼もしいばかりでなく、利己主義という自己批判の言葉を、自分から追い出すこともできる、大きな考え方だと思います。 つまり、私たちにとっては、まず、神様の愛を自己という場で実現することが重要なのであり、もちろん自己愛よりも神への愛こそ優先されるのですが、隣人愛を実現するためには、神への愛と自己愛を通してこそだということだと、理解しました。つまり、隣人愛あるいは協調性には、神への愛と自己愛をこそ、前提としているという、これも言われてみれば常識的なことが、書かれているのでありました。 最後に、アダムの原罪という事件を、幸福な過ち、と本書では理解されていることに、非常に感銘を受けました。もちろん既に、聖書には、過ちの大きいところにこそ神の愛も大きい、という趣旨のことが書かれていますが、アダムの原罪があったからこそ、人類はそれを超える大きな一歩を踏み出せたのだ、という考え方に、まるで過ちの多い私自身も、同時に救われているのではないかと、感じられるのでありました。
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