中根龍一郎 "海に落とした名前" 2025年12月16日

海に落とした名前
名前をなくす話を読みたくなって、単行本を引っ張り出して、表題作の「海に落とした名前」を読み直した。雑誌発表時のタイトルは「レシート」だったそうだ。 レシートに痕跡として残る自分の過去を再構築して、自分はこのような人間です、と主張していくことは、(ある程度まとめてレシートの処理をする、まとめてできる仕事を後ろに回しがちな)自営業者にとっては確定申告の時期に身近な仕事だ。法的な違反なく、財務上の不都合なく成立する、無矛盾な人格を書類上で表現していくのは楽しい。でもそこで立ち上がる無矛盾な人格は、結局のところフィクショナルなもので、実のところ私の経済活動となんの関係もなくても成立してしまう。ただその経済活動に、私が私自身の名を署名し、これは私の人生だという引き受けを行うことによって、手続き的に、どうやら私と結びつけられる。 「海に落とした名前」は素人の舞台。アマチュア・ナイトのショーのレシートを手がかりにして、それらしく組み立てられた、しかし真実に触れているかはわからない、それでもひとつの物語としては矛盾なく成立する演技で終わる。そしてその演技が無限に続く示唆で終わる。名前は海に落とされたままで帰ってこない。 でも「名前を落としていない」はずの、三河の人生も後藤の人生も、結局のところそれらしく語られるだけだ。後藤は三河の人生についての証言を否定し、三河は後藤の人生についての証言を嘘だという。これなら自分のものだと宣言できるはずの自分の人生物語さえ、自分のいないところで語られ、違うものに書き換えられてしまう。 そうすると人生は増えていく。そして増えた先で見えなくなっていく。 旧姓を併記して住民票と免許証に記載したとき、名前が増えた気がした。それは少しの不安とともに喜びがあった。私はただひとつの真実よりも、どちらかというとそうした攪乱や裏切りが好きだ。本当のことがわからなくなり、現れては消えて、無数の本当のことが矛盾しながらもたれ合うような……。
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