
DN/HP
@DN_HP
2025年12月16日

霧に橋を架ける
キジ・ジョンスン,
三角和代
かつて読んだ
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大好きな「蜜蜂の川の流れる先で」の前に収録されている「水の名前」という短い一編、これも大切な一編になった。その日は雨が降っていて。
日常に訪れた奇妙な瞬間。携帯電話から聞こえる水の囁き。疲れによってもたらされた幻覚でもある。
でもなにか意味を見出したかった。進んで自分を偽りたかった。将来に溺れそうになっている感覚に抵抗できる呪文が必要だったから。
それは想像できないほど遠くだが、たどり着ける場所からきた本物の声だとも分かっている。それは未来だ。
年月は将来の意味を少しづつ変えていく。諦めや敗北が加わる。それらを抱えながら辿り着く未来を思う。溺れそうになっている感覚をまた感じる。それでも、そこには希望もある、と優しく促し見出させてくれる囁きのような短編小説がある。目当ての一編のひとつ前にもあった。現実を包み込むようなファンタジーのもつ優しさに不意に触れると、やはり泣きたいと思う。逃避よりも抵抗の選択を思うようにもなる。そんなことも書いてしまいたくなる。
この短編小説でも、窓の外でも、雨が降っていた。偶然の一致から読み始めると、思いがけず大切な短編小説がひとつ増えた。





