
句読点
@books_qutoten
2025年12月20日

古本買取でたまたま入ってきて何気なく手に取って読み始めたら、とんでもなく良い本だった。
1980年に出版された本で今から45年も前だが、全く古びれていないし、今こそこの本に書かれていることが広く人々の間に広まっていくことが必要だと思った。
当時も若者の自殺が増加していることが社会問題となっているところから話が始まる。将来のためにと、現在がただの将来のための準備期間となり、生きる実感を持てないまま熾烈な受験競争に巻き込まれ、生きる意味を喪失していっていることがその原因ではないかと問いかける。ではどうすればいいか。著者は手っ取り早く解決を教えるハウツー物の答えを用意する代わりに一冊の本を紹介し、「生きる意味」「学ぶ意味」を問い直すことを提案する。その書物がフランクルの『夜と霧』。(第1章生きるということ)
この紹介がとても良くて、まずこの本の大きな魅力の一つとなっている。読書会で去年読んだけど、また読み直したくなった。ナチスが権力を握ってまず行ったのが、ナチスの思想信条に反する「悪書」を焼くこと。「本を焼くものは、ついには人間を焼くようになる」というハインリヒハイネの1823年の言葉。予言していたかのような彼の本も焼かれた。フランクルが収容所の中で体験したことは壮絶なものだったが、その中で彼が見出したものは人類共通の類まれな貴重な財産となった。それはどのような状況の中であろうと、苦悩を積極的に引き受け、人生の意味をあくまでも問い続ける逞しい精神を持ったもののみが最後まで生き抜くことができたということ。あくまでも「人間」として踏みとどまり、人間としての尊厳を持って生き、そして死んでいくことを選ぶということ。「人生から何を我々はまだ期待できるかが問題ではない。むしろ、人生が何を我々から期待しているかが問題なのである」という有名な言葉をもう一度噛み締める。これは収容所のような極限状況に置かれた人だけでなく、どんな場所や時代に生きている人にも問われていることだ。人生からの問いに口先だけでなく、正しい行為によって応答していくこと。
人間に生きる意味を与えるものは様々あるが、代表的なのは創造的な仕事を行うこと。芸術家や文学社のみに限られているわけではなく、自分の持てるものを注ぎ込んで何かを生み出そうとすること。日頃の対人関係にしろ、些細なことにも。今月読む『愛するということ』は、その具体的な実践について書かれてある。フランクルも愛することの重要性を語っていた。愛するということはつまり何かを創造することだろう。『生きがいについて』の話も出てくる。これも読書会で読んだが、また再読したい。「体験価値」で、優れた本を読むことの意味についても語られる。この本もまさしくそうした一冊だった。そして、「創造価値」も「体験価値」も望めないような状況でも、なおまだ人間には人生に意味を与えることができる。それが「態度価値」。
「生きているかぎり、いかなる状況のなかでも生きる意味を発見し創造するチャンスを持っています。私たちは、その価値を実現することにたいする責任からまぬがれることはできないのです。」p.39
コルベ神父の話もこの本で初めて知った。こんなに立派な生き方をできる人もいた。
「私の人生は他の誰の人生でもなく、私の人生です。それは、他の人生と比較することも、また取り替えることもできないものであります。それぞれが独自の意味と課題を持っています。だから、ある人の人生の活動半径が大きいか小さいかということそのことは、重要ではありません。人間が自己の使命、その生きる意味をどれほど満たしているかということが、大切なのです。」p.44
(第二章現代社会に生きる)
偉人が歴史を作るのではなく、あくまでも歴史を作る主体は一人一人のその時代に生きる人々である。ナチ政権を支えたのもその当時の人々で、ヒトラーを称賛したのもその当時の人々。
「私たちのすべての行動の仕方や考え方は、いずれも政治の運命を織りなす糸となっているのです。きみたちの中には、もう政治に関わりたくないという意見の人もいるかもしれない。しかし、この政治に関わりたくないという態度もまた、実は政治にたいする一つの関わり方なのです。政治について決断しないという君たちの態度も、また一つの政治的決断なのです。たとえ君たちが、自分では中立であり、何もしていないと言い張るとしても、政治の世界では、「不作為の責任」をまぬがれることができないのです。ヒトラーやファシズムの歴史は、そのことを私たちに嫌というほど教えています。」p.64
民主主義も国民一人一人が主体的に、積極的に関わっていかなければその精神が失われてしまう。
特に日本では「成り行きに任せる」「既成事実に屈服しやすい」という性質が強く、いつでも時流のおもむくところを眺め渡して、大勢の走る方向について行こうとする曖昧な行動の仕方をしがち。実際に、戦前の歴史を振り返ると、満州事変から敗戦に至るまで、軍部の作り出した既成事実に対して目立った抗議をすることもなく、(できなかったという方が正しいかもしれないが、いや、しかしそうした状況を作り出したのもまた市民の側である)気づいた時にはもう手遅れになっていたという歴史がある。今再びそうなりつつあるのではないか、という危機感がものすごくある。
その後、日本では徹底的に議論をするという習慣がまだ根付いていないとし、コンフリクトと共に生きることが真の民主主義的な社会を作る上で重要だと語る。そのためにも個人の思想信条の自由が侵害されてはならない。
大江健三郎の想像力についての言葉。すでにあるイメージから解放し、そのイメージを作りかえさせる能力が想像力。思い込みから自由になること。見えないものを想像すること。ある出来事を自分の生きた同時代のこととして実感できるようにする力。
続いて、シュヴァイツァーの生涯を紹介しながら、人間だけでなく、生きとし生けるものと共存することについて語られる。(第3章みんなと生きる)
最後の「第4章 平和をつくり出すもの」では、「剣を取るものは剣で滅びる」という言葉を軸に、軍拡によって平和を維持するのではなく、日本国憲法の精神に則った、真に平和な軍縮による平和を目指すべきだということが語られる。当時戦後30数年の時点でもすでに戦争体験の風化が進んでいたという。核武装論や、国防軍創設の動きもあったようだ。今再び高市政権下でその動きが強まろうとしている。ベルリンの壁崩壊前の、西ドイツにおいて良心的兵役拒否をした人たちの話の流れで、非暴力闘争についても紹介。日本でも、沖縄の伊江島で阿波根昌鴻さんを筆頭に非暴力闘争が行われて、米軍基地から自分たちの土地を取り返すことに成功した事例が紹介される。これもこの本で初めて知ったこと。非暴力闘争について今とても関心があるのでもっと掘り下げていきたい。そして日本国憲法はその非戦の誓いにおいて、国民的な兵役拒否をしているのではないか、ということが語られる一方で、憲法に描かれる「日本国民は、」という言葉に注目し、やはり一人一人がこの精神を強く持たない限りどんなに立派な憲法も形骸化してしまい、簡単に崩れてしまうだろうことが述べられる。
積極的平和主義をより推し進め、世界的な軍拡を止めて、平和的外交によって軍縮を進める先頭に立つことが日本に求められていると思う。それに逆行するような動きには抗っていかねばならない。
この一冊で色々読み直したい本、新たに読みたい本が増えた。たまたま出会うこうした良書との出会いがあるから古本屋は楽しい。


