中根龍一郎 "翻訳はおわらない" 2025年12月30日

翻訳はおわらない
しばらく読み進めて、なんだか知っている話だな、別のところで出した話を再録しているのかな……と思っていたら、『翻訳教育』の文庫化だった。 『翻訳教育』はけっこう好きなエッセイで、『うたかたの日々』のハツカネズミの口調を男性で訳すか女性で訳すかの話や、鷗外の孫である山田𣝣の翻訳の妙味、鷗外の文学についてまわる翻訳の影など、久しぶりに読み返せたのは嬉しかった。 読んだことのある本の文庫化ということに気づかなかったのは、年末の忙しさのなかで本をあれこれまとめて通販で買ったせいだった。書店ですこし中を見ていたら買わなかったかもしれない。でもそうしたら文庫版で追加されていた新章「AI翻訳なんか怖くない」には出会わなかったかもしれない。 「AI翻訳なんか怖くない」には実際のところそれほどAI翻訳の話は出てこない。『人間の大地(土地)』の新訳作業をめぐるかなり心楽しい記述のあと、後ろのほうに少しだけゾラの『居酒屋』のDeepLを用いた珍訳が登場し(そもそもDeepLは19世紀フランス文学を訳すようにはつくられていないので、それはそれで気の毒なのだけど)、そのうちAI翻訳が下訳に使えるようになるかもしれない、そしてAIが正確な翻訳をするようになったとしても人間の再解釈の欲望は尽きないだろう、というあるていど穏当な話に着陸する。 通販で海外メーカーの安い商品を買うと、取扱説明書が怪しげな日本語で書かれていることはもう日常のことだ。その怪しげな日本語訳を、文脈から解釈し、時に英訳を見て判断する。そういう「怪しげな翻訳」が文芸のジャンルで見られることは今のところあまりない……のだけど、ことが漫画やテレビ番組になると、けっこうアマチュアの(あるいはAIを使ったであろう)著作権的には違法な翻訳が出回っていることがある。その翻訳はしばしば日本語としてこなれていなかったり、単純に誤ったりしているが、それでも「ある芸術作品をなんとかして自分の言葉で読みたい」という欲望はけっこう強力なものだ(そもそも、外国語を学ぶモチベーションとしてわりと普通のことでもある)。 今や私たちの日常生活、消費生活はたくさんの「質の低い翻訳」に取り囲まれ、それを自分の言葉に組み換えていくものになっている。野崎は章末に書く。「少なくともフランスの十九世紀の名作を訳す局面において、AIはいわば泥酔したような足どりを見せており、手助けしてくれるという以上に、こちらが介抱しなければならない場面が多すぎる」……でも実は人間の身の回りにある多くのプロダクトは、車にせよスマホにせよ食器や調理器具にせよ、人間が世話やメンテナンスをしてやるようにできている。AI翻訳……というか機械翻訳(MT)もまたそのような、私たちの生活に加わった、面倒を見てやらないとならない新参のちびすけだ。 世界は解釈するもので満ちている、翻訳するもので満ちている。でもそれ以上に、介抱するもので満ちている。翻訳はおわらないように、世界の面倒を見ることもおわらない。そしてそれは、実のところさほど不幸なことではないだろう。機械翻訳をめぐる話からは、そういうことを考えた。
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