みゆわ "哲おじさんと学くん (日本経..." 2025年9月23日

みゆわ
みゆわ
@miyuwa
2025年9月23日
哲おじさんと学くん (日本経済新聞出版)
・私が学生時代から持っていた、「私以外の人間」が「ロボット」ではないとなぜ信じられる?」の問いに迫っていた。私だけが本当に意識のある存在で、他人には意識がなく、彼らが生まれた時にプログラムされた動きを私の動きにちょうど合わせて動いているだけではないか、という考えがあった。(独我論というらしく、哲学では「ロボット」ではなく「ゾンビ」というらしい。)これは厳密に学くんの問いとは違う(学くんは他人に彼らなりの意識が存在していることは認めているが、ある一つの意識がなぜ僕目線で見れるようになっているのかに疑問を持っている)。でも私の問いと似た深さの問いだった。 ・哲おじさんは、「ぼんやり思う」ことと哲学は異なると言った(哲学とは非人称的で非自制的であるとか。)普段の思考と哲学を明確に分ける要素として非常に明瞭な説明ですっきりした。会話の中で、私が支持してるのではなく、単に思っている意見を言った時に「じゃあ君がそうすれば?」のように私という人称に矢印を向けてくる人が嫌いだった。高校生まではそういう人がとても多くて自分の意見を自由に述べるのが嫌になった。学生時代のそういった経験を哲おじさんに抱きしめてもらった気がした。 ・私が好きになる人はなぜ好きかというと「ゾンビらしくないから」だ、きっと。この世界に自分だけが孤立していると感じさせない、この人にも私のような感覚が備わってると言動からわかる人が好きなんだ。そこから自己と他者が「同じ」であると「したい」意識が派生するのかも。 ・古傷は大事だ。過去の記憶を「今」の「私」に証明してくれる。傷がなければ私が学生時代に脛に怪我をした事実が本当に存在したのかわからないところだ。体はその意味で絶対に正しい日記だ。写真もそうだ。その時点が確かにあったことを今の私に証明してくれる。何だか写真や傷を残さないことが怖くなってきた。 ・コンテンツの大事さをまた一つ知った。コンテンツは次なる知識獲得への足がかりだ。「チ。」を見たからこの本が面白いんだ。コンテンツと紐付けて学習することは大事だ。 ・前段として、学くんのホールデン的語りが用意されてるのが構成として素敵だ。ある種一般人の普遍的な感覚を最初に敷いて、そこから話題を選んでいくみたいな。最初に引き込まれたのは「なぜ人を殺してはいけないのか?」の問いだ。自分がされて困ることだから、という説明に納得できていなかった自分には刺さりまくるトピックだった。 ・「哲学は祈りを拒否する祈り」である。この意味は、「宗教の祈りにひそむ隠れた不誠実さを拒否して、宗教よりも徹底的に誠実に祈る」ということらしい。「祈らない祈り」とも言っている。「祈り」と呼ぶ理由はそこに一種の信仰があるからである。どこまでも論理的に理詰めに考えていくことこそが最も価値ある行為であるという信仰。ここが本当に「チ。」だなと思った。フベルトの「神を信じるからこそ聖書ではなく自然を見る」スタンスであり、神が作った世界が美しいと信じるからこそ反教会的説である地動説を唱えるという行為そのものに現れている。
読書のSNS&記録アプリ
hero-image
詳しく見る
©fuzkue 2025, All rights reserved