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みゆわ
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@miyuwa
本をときどき読みます。
  • 2025年10月26日
    ひゃくえむ。新装版(下)
    敗北主義と部活は悪い意味で相性がいい。到底敵わない同級生を長期間間近で見続けなければならない。この漫画では敗北主義を発症させて進路を切り替えることに対して改めて疑問を投げかけている(どうせ敵わないなら練習を続けても意味はないと本当に言えるか?)。 そして敗北主義に陥らずに、そして才能もなく努力を続けることに対する周囲からの冷笑、自己問答はほとんどの部活生徒に共通の問題だ。 結局部活動というのは敗北主義とどう向き合うかを学ぶ場なんじゃないか。あの子より上手になれないけど練習する意味、どうせ大会で負けるけど練習する意味を問いながら前に進むしかない時間なんだ。なんて豊かなんだろう。問いがある限りその時間は無駄じゃない。問いがない時間が辛いんだ。
  • 2025年10月12日
    新装版 限りなく透明に近いブルー
    衝撃的。 エロもグロもそうでないところも、情景がビビットに脳内に描き出されていく感覚。 作者が美大に通っていたこともあってか、読者にイメージを描かせる能力(テレパシー)が非常に長けている作家だと感じた。 セックスのシーンは酷く恐怖を感じた。薬の影響で感覚や思考が滅茶苦茶になるシーンも、読んでいるこちらが息が詰まるような感覚がある。読者の身体に影響を与える小説、というものに初めて出会った。文字を読むだけでイメージが浮かんだり音が聞こえたり匂いがしたりする、それによって身体に影響が出る、そんな感じだ。 最初はセックスのシーンが怖すぎてこの本を嫌いになりかけたが、飛行場シーン、ラストのリュウの語りのシーンで大好きになった。
  • 2025年9月30日
    翻訳夜話2 サリンジャー戦記 (文春新書)
    ’The Catcher in the Rye’の凄さはサリンジャーの凄さなのか、村上春樹の凄さなのか、どちらかわからなかったが、結局両方の凄さであることがわかった。 まずサリンジャーの凄さは、語り手と読み手の親密度を異常なまでに高めるホールデンの語り口調を作り出したことだ。彼の言葉は体系化されておらず、また先のことを考えて喋ってはいない。それはサリンジャーがそのようにして実際に執筆していたからだろう。このスタイルは時に自己矛盾を読者に見せることになるが、それもまたリアルとして受け入れられる。 村上春樹の凄さは、ホールデンを含めた各登場人物の性格や役割を高解像度で理解し、「本来」そう話すべき話し方で訳したことだ。例えばフィービーは兄であるホールデンを「お兄ちゃん」とは呼ばず「あなた」と呼ぶ。これは私が’The Catcher in the Rye’に魅せられた要因の一つだ。フィービーが冷たくも聞こえる呼び方でホールデンを呼ぶのは、彼女が妹としてだけの役割で物語に登場しているのではなく、ホールデンの精神的な対話相手として登場しているからだと思う。また村上春樹は繰り返される同一の言い回し(ホールデン独特の)を工夫して多少のバリエーションをつけたらしい。このように原作に忠実になりすぎない加減もまた絶妙だ。 結果として、この本は2人の偉大な小説家によってここまで魔力を持った小説となったのだろう。
  • 2025年9月23日
    哲おじさんと学くん (日本経済新聞出版)
    ・私が学生時代から持っていた、「私以外の人間」が「ロボット」ではないとなぜ信じられる?」の問いに迫っていた。私だけが本当に意識のある存在で、他人には意識がなく、彼らが生まれた時にプログラムされた動きを私の動きにちょうど合わせて動いているだけではないか、という考えがあった。(独我論というらしく、哲学では「ロボット」ではなく「ゾンビ」というらしい。)これは厳密に学くんの問いとは違う(学くんは他人に彼らなりの意識が存在していることは認めているが、ある一つの意識がなぜ僕目線で見れるようになっているのかに疑問を持っている)。でも私の問いと似た深さの問いだった。 ・哲おじさんは、「ぼんやり思う」ことと哲学は異なると言った(哲学とは非人称的で非自制的であるとか。)普段の思考と哲学を明確に分ける要素として非常に明瞭な説明ですっきりした。会話の中で、私が支持してるのではなく、単に思っている意見を言った時に「じゃあ君がそうすれば?」のように私という人称に矢印を向けてくる人が嫌いだった。高校生まではそういう人がとても多くて自分の意見を自由に述べるのが嫌になった。学生時代のそういった経験を哲おじさんに抱きしめてもらった気がした。 ・私が好きになる人はなぜ好きかというと「ゾンビらしくないから」だ、きっと。この世界に自分だけが孤立していると感じさせない、この人にも私のような感覚が備わってると言動からわかる人が好きなんだ。そこから自己と他者が「同じ」であると「したい」意識が派生するのかも。 ・古傷は大事だ。過去の記憶を「今」の「私」に証明してくれる。傷がなければ私が学生時代に脛に怪我をした事実が本当に存在したのかわからないところだ。体はその意味で絶対に正しい日記だ。写真もそうだ。その時点が確かにあったことを今の私に証明してくれる。何だか写真や傷を残さないことが怖くなってきた。 ・コンテンツの大事さをまた一つ知った。コンテンツは次なる知識獲得への足がかりだ。「チ。」を見たからこの本が面白いんだ。コンテンツと紐付けて学習することは大事だ。 ・前段として、学くんのホールデン的語りが用意されてるのが構成として素敵だ。ある種一般人の普遍的な感覚を最初に敷いて、そこから話題を選んでいくみたいな。最初に引き込まれたのは「なぜ人を殺してはいけないのか?」の問いだ。自分がされて困ることだから、という説明に納得できていなかった自分には刺さりまくるトピックだった。 ・「哲学は祈りを拒否する祈り」である。この意味は、「宗教の祈りにひそむ隠れた不誠実さを拒否して、宗教よりも徹底的に誠実に祈る」ということらしい。「祈らない祈り」とも言っている。「祈り」と呼ぶ理由はそこに一種の信仰があるからである。どこまでも論理的に理詰めに考えていくことこそが最も価値ある行為であるという信仰。ここが本当に「チ。」だなと思った。フベルトの「神を信じるからこそ聖書ではなく自然を見る」スタンスであり、神が作った世界が美しいと信じるからこそ反教会的説である地動説を唱えるという行為そのものに現れている。
  • 2025年8月20日
    海辺のカフカ(下巻)
    語り手は信頼できないし、時系列は前後する。具体と抽象が常に行ったり来たりする。そう言う意味での読み応えはあった。気に入ったのは、カフカと大島さんの会話だ。2人ともメタフォリックな表現をする会話を好むが、カフカはやはりどこか15才らしく、大島さんほどメタファーや知識が多くない。これまで1人の時間に考えてきたことを披露するだけで、相手の言葉を受けて持論を展開すると言った会話の応用が未熟な感じがした。このカフカと大島さんの会話スタイルの違いを味わうのは楽しかった。 カフカ視点と中田さん視点が章を跨ぐごとに変わるため飽きなかった。星野青年の登場以降は、彼の俗っぽい性格や言葉遣いから、少し作品が自分自身に近くなって、面白く感じることができた。
  • 2025年6月1日
    夜間飛行改版
    夜間飛行改版
    文章の雰囲気が優しかった。人間一人ひとりを愛おしそうに描いていた。星空や夜空を美しいものとして描く反面、死を彷彿とさせる恐るべき存在としても描いていた。その二面性に人間が翻弄される様子を見て、人間のちっぽけさや愛おしさを感じることができた。 また、「何のために人は働くのか」というテーマがこの本からは読み取れた。愛だけでは行き詰まる、愛は永遠ではない、という現実的な視点を持つ仕事人間リヴィエール曰く、仕事は永続性を持っており、そのために人は苦しい思いをしてまで働くのだとか。確かにそうだなと思った。私の愛は私か相手が死ねば終わる。だけど私が関与した仕事は私の死後も成果物としてこの世に存在し続けるだろう。 このように「私」をこの世界に生きながらえさせる目的で、私が仕事をする日はいつ来るだろう。その日が来た時、私は本当に仕事を愛することができているんだろうな。
  • 2025年4月1日
    遠い山なみの光 (ハヤカワepi文庫 イ 1-2)
    遠い山なみの光 (ハヤカワepi文庫 イ 1-2)
    会話劇としての印象が大きい。 所々に垣間見える日本の軍国主義批判や家父長制批判と思われる箇所もあったが、それらがこの本の主たる主張とは思わない。 この作品も「私を離さないで」と同じく、会話劇を追い続けて次第に読者が何か別のことに思いを馳せたりする瞬間に、この作品の狙いが置かれているような気がする。悦子のとても控えめで良妻賢母であろうとする直向きな姿勢に、私自身祖母のイメージを重ねざるを得なかった。読んでいる間はずっと祖母のことを考えてしまう、そんな私の記憶や思い出に簡単にアクセスしてくる作品だった。このような作品の魅力は人に伝えるのがとても難しい。ただ素敵な作品だった。
  • 2025年3月9日
    ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ(4)
    陰謀論は社会的弱者だけがハマりやすいわけではない。何かしらのルサンチマンを持つ者であれば全員がハマりうると思う。 私は陰謀論にハマっていない。しかし魅力的だとは思う。うだつの上がらない日々をひたすら反復する地獄から脱却する必殺技みたいなものだから。これを使えば自分がうまくいっていない現状を逆に全肯定することができるから。そんな夢のアイテムに飛びつきたくなる若者が現代には溢れているだろう。「なんで自分の生活は回らないんだろう、同年代の子達はあんなに楽しそうで楽そうなのに」という類のルサンチマンは現状の構造から発生するものであり、個人が納得のできる理由なんて存在しない。でも理由をつけないと納得できない。答えや理由のない事柄に仮想的な理由づけをしてくれるのが陰謀論だと思う。ルサンチマンは蔓延しやすく、弱者を「弱者のままでいい」と認識させる強い感覚だ。だからこそルサンチマンを持つ人々と陰謀論は相性が良く、広く蔓延するんだろう。
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