読書猫 "私という小説家の作り方" 2025年11月28日

読書猫
読書猫
@bookcat
2025年11月28日
私という小説家の作り方
“雨のしずくに 景色が映っている しずくのなかに 別の世界がある” “言葉が、私を現実から引きずりあげて、想像力の世界に追放したのだ……” “すでに小説はバルザックやドストエフスキーといった偉大な作家によって豊かに書かれているのに、なぜ自分が書くのか? 同じように生真面目に思い悩んでいる若者がいま私に問いかけるとしよう。私は、こう反問して、かれを励まそうとするのではないかと思う。すでに数えきれないほど偉大な人間が生きたのに、なおきみは生きようとするではないか?“ “このような書きなおしに際して、ものを感じるために、石を石らしくするために、という芸術の目的、効用をいうロシア・フォルマリズムの原理が役立つのだ。どうもこの一節はものを感じとらせない、という思いがあれば、なんとしてもそこは書きなおさなければならない。そのままにしておいては、小説の文章でない一節がまじり込むことになるのだから。” “本来、言葉とは他人のものだ──こういいきるのが過激すぎるなら、すくなくともそれは他人と共有するものだ──。(中略)そういえば、すべての小説も詩も、他人との共有の言葉によって、つまり引用によって書かれてきたのだ。” “そこで私は、最初に書いた、この宇宙、世界そして人間の社会、この内部へと耳を澄まし、眼を見開くようにして、そこをみたしている沈黙と測りあう言葉を探す自分、というところに立ち戻るのである。小説の草稿を、それもノート段階でなく、ひとつの全体をめざして書き始め、書き進めてゆく時、そこに積み重なってゆく言葉こそが、現にいま書いている自分と、大きい沈黙に耳を澄まし眼を見開いている自分との間に橋をかける。私がこれまで滑走路と呼んでいたものは、むしろ橋とこそ呼ぶべきだっただろう。 その橋がかかった時──あれが来た時──わたしは 小説家として宇宙、世界、人間の社会に、独自の内面をそなえた個として、本当に生きている。それは自分に才能があるかどうかを確かめるよりもっと重要なことだ。それは、あるいはそのようにして書きあげた作品自体よりも、なお本質的なものの達成であるかも知れないのだから。”
読書のSNS&記録アプリ
hero-image
詳しく見る
©fuzkue 2025, All rights reserved