
茅嶋
@_Kayashima_
1900年1月1日
風と光と二十の私と
坂口三千代,
坂口安吾,
川村湊
かつて読んだ
おすすめ
かなり前に読んだ
おもしろかった
「私は市井の屑のような飲んだくれだが後悔だけはしなかった。」が好き
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「女占師の前にて」
私は昨今芥川龍之介の自殺は日本に於て(…)稀れな悲劇的な内容をもった自殺だと思うようになっています。(…)芥川は晩年に至ってはじめて自らの教養の欠如に気付いたのだと思われます。(…)彼の聡明さをもってすれば、その内省が甚だ悲痛な深さをもっていることを想像せずにはいられません。
「おみな」
「(…)モナリザに、聖母に鞭をふりあげろ。そこから悲しみの門がひらかれ、一切の行路がはじまる。(…)俺を生かしてくれるものは、嘘と汚辱の中にだけ養われているものなんだぜ」
「孤独閑談」
この小娘の独立独歩の人生に対して、まるで僕たちはそのツマにしか当たらぬような哀れさであった。僕は悲鳴をあげてしまい、三宅君は撮影所で女優の卵に演劇史を教えていたが、ヤア不良少女に比べると女優の方が大根ですなア、と嘆いてしまった。
「古都」
ほんとの幸福というものはこの世にないかも知れないが、多少の幸福はきっとある。然し、今、ここには無いのだ。
「二十一」
気違いでも何でも構わぬ、誰かと喋っていなければ頭が分裂破裂してしまう
僕も心中暗涙を流して、この調子ではオレも愈々精神病院だと絶望した程であった。
僕のそぶりから家族の冷めたさをさとるにつけて、彼の心は一そう激しく母の愛を祈りはじめる。
僕はもう少しで病気をブリ返すところであった。母親というものはまことに魔物であり曲者だ。(…)母親だけはとにかく信ずるに値する、とそのとき悟った
「いずこへ」
細々と毎日欠かさず食うよりは、一日で使い果して水を飲み夜逃げに及ぶ生活の方を私は確信をもって支持していた。私は市井の屑のような飲んだくれだが後悔だけはしなかった。
桃山城で苛々している秀吉と、アパートの一室で、朦朧としている私とその精神の高低安危にさしたる相違はないので、外形がいくらか違うというだけだ。
自信というものは、崩れる方がその本来の性格で、自信という形では一生涯に何日も心に宿ってくれないものだ。
自分の陶酔や満足だけをもとめるというエゴイズムが、肉慾の場に於ても、その真実の価値として高いものでは有り得ない。真実の娼婦は自分の陶酔を犠牲にしているに相違ない。
「魔の退屈」
私の好奇心というものは、馬鹿げたものなのだ。私は最も死を怖れる小心者でありながら、好奇心と共に遊ぶという大いなる誘惑を却けることができなかった。
泥棒し、人殺しをしても欲しいものが存在するところに人間の真実の生活があるのだ。
人間は目的のない仕事、陽の目を仰ぐ筈がないと分りきった仕事をすることが如何に不可能なものであるか、厭というほど思い知った。
「石の思い」
「風と光と二十の私と」
私は当時まったく超然居士で、怒らぬこと、悲しまぬこと、憎まぬこと、喜ばぬこと、つまり行雲流水の如く生きようという心掛であるからビクともしない。
「私は海を抱きしめていたい」
「わがだらしなき戦記」
こんな味気なさをかみしめねばならぬのは、馬鹿者の雀の宿命で、鷲や鷹なら、知らずにいられることなのだ。私はもう、私の一生は終わったようにしか、思うことができなかった。
「二十七歳」
私は、この尤もらしい顔附が切ない。こう書いてしまうと、これだけの尤もらしさになってしまう、表現のみじめさが切なく、馬鹿々々しいのだ。
・中原中也との親交(中也は史実でもかなりのおもしろ人間だったようだ
彼女の顔は死のように蒼ざめており、私たちの間には、冬よりも冷めたいものが立ちはだかっているようで、私はただ苦しみの外なにもなかった。
「わが戦争に対処せる工夫の数々」
「暗い青春」
矛盾撞着、もつれた糸、すべて死が母胎であり、ふるさとでもある人生の愛すべく、又、なつかしい綾ではないか。
野心に相応して、盲目的な自信がある。すると、語るべき言葉の欠如に相応して、無限の落下を見るのみの失意がある。
・芥川龍之介への言及あり
「死と影」
自殺の虚勢というような威勢のよいところはミジンもなく、なんのことだ、オレはこれだけの人間なんだ、という絶望があるだけだった。
死んではならぬ、と、考えつづけた。なぜ、死んではならぬか、それが分らぬ。
「釣り師の心境」
・三好達治、井伏鱒二への言及あり。三好先生も釣り好きだったみたい。
「わが精神の周囲」
「小さな山羊の記録」