DN/HP "マッドヴィランの嘘と真実" 2026年1月4日

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2026年1月4日
マッドヴィランの嘘と真実
マッドヴィランの嘘と真実
ウィル・ヘイグル,
吉田雅史,
梶本麻須久
「それから、事切れるまえに最後にひとつだけ矛盾した虚偽を共有させてほしい。《Madvilainy》は史上最高のアルバムである、ということだ。これは嘘だ。なぜなら、あの作品はアルバムではない、というのが真実だからだ。《Madvilainy》はリスナーのコミュニティに命を吹き込みつづける伝説であり、それを聴く者や共有する者ごとに異なる意味をもった無数の物語を生みだしている。」 これを語っているのは「真実嫌悪博士ことドクター・トゥルーサヴァース」、Madvillainの《Madvilainy》についての本が書かれるために生み出された「虚構」の存在だ。そしてこれがこの本で導き出される「真実」だ。ということは、この本自体も「伝説」から生み出された無数の「物語」のひとつなのだ。 なるほど、そうだとするならばわたしの大好きな小説、トミー・オレンジの『ゼアゼア』で描かれた物語もこの「伝説」から生まれた「物語」と言えるだろう。 オークランドで暮らす胎児性アルコール症候群(ドローム)の「都市インディアン」の少年、トニー・ローンマンがバスで拾った「MF ドゥーム」の音楽だけが入ったiPodで聴くMad villainの〈Rhinestone Cowboy〉。彼がその曲、リリックを聴き「ドゥームが好きだって直感した。しびれた。どういう意味なのか速攻で、何もかも分かった」救われた瞬間、「伝説」はオークランドのストリートで暮らす「都市インディアン」の少年までたしかに届いたのだ。 これは小説として書かれているのだから、勿論「虚構」だ。しかし、その物語が書かれたことは「真実」だ。つまり、「伝説」は少年と同じくオークランド出身の「都市インディアン」である作者のトミー・オレンジまで届き、そこでひとつの「意味」をもち「物語」が生み出された、ということだ。 この本を読んだ後では、そんな「物語」もその後ろにあるはずの「真実」も、より特別でロマンティックなものに思えてきた。そんな気持ちのまま書いてしまえば、「都市インディアン」の少年が「何もかも分かった」瞬間を読んで感動して、そこで引かれるリリックの一部から〈Rhinestone Cowboy〉という曲に辿り着き、本をバッグに入れて、その文章を何度も読みながらその曲が収録されたアルバム、《Madvilainy》を探して何軒ものレコード・ショップを巡った、というあのときのわたしの行動も、順序は逆だけれど、「伝説」から生まれた「物語」と言ってもいいのではないか。多分あのときわたしも何かから救われた。 そう言い切ってしまえれば、『ゼアゼア』のことを思うとき、大好きな気持ちや感動と同時に浮かび上がってくる、こびりついていた嫌な思い出、汚点がようやく剥がれ落ちていって、より大切な小説、物語になった気もしてきた。 この本で語られるのはアルバム、アーティスト(という「伝説」)に近いところで生まれた数々の「真実」「虚偽」、その「記録」が中心であって、それは興味深いけれど、もう少し離れたところで無数に生まれたはずの、トニー・ローンマンやトミー・オレンジ、のような「物語」の方が読みたかった、と思うと少し物足りない気がしてしまっていた。けれど、わたしにも「物語」があったと気付かされた、大切な小説がより大切に思えるようになったことを思えば、これも読みたかった本だ、と思えるし、この本も「伝説」から生み出された無数の「物語」のひとつ」ということも踏まえれば、やはりこの本も素晴らしかった、最高の読書だった、となるのだった。 そういえば、この本も近くの本屋に売っていなくて、何軒かの本屋を巡ってようやく手に入れたのだった。それもまた「物語」とも言える、かも…… 『ゼアゼア』の件の文章、加藤有佳織さんの翻訳はリズムもフロウも素晴らしい。「ラップミュージックのように読みたい小説」、と昔書いたレコメンドを思い出しながら、また読んでみたらやっぱり最高だった。そして、この文章を訳すとき加藤さんはあの曲を聴いたのだろうか、もし聴いていたとするなら、そこにももうひとつ「伝説」から生まれた「物語」があったはず、とも想像しておきたい。
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